喜怒哀楽書房の想い
この度は、ご縁あって、このページをお読みくださいますこと、うれしく思います。
当社の成り立ち、そして私たちの想いをお話させてください。
「喜怒哀楽書房」の母体である㈱木戸製本所は昭和24年創業以来、
70年以上に渡って情報を本や雑誌、パンフレット等に加工するという製本業を生業として本に携わってきました。
情報伝達の方法が変わりつつある現在ですが、
だからこそなお、
本でしか伝えられない良さ
手触り
あたたかみ
デザイン
一冊ごとの個性
ページをめくる音
インクのにおい
を改めて感じています。
本という文化を衰退させないためにも何かできないだろうか。
「それならば、加工するだけでなく、本を作って提供していこう!と、
㈱木戸製本所内に個人の自費出版部門を立ち上げたのが2002年のことでした。
そのきっかけは2001年9月、母の死です。
当時何を思ったのか、母のよすがとなるもの、母が生きてきた軌跡をなんとか作りたいと思い立ち、無我夢中で原稿を依頼し、
自分でも心に残る様々なことを綴りながら一冊の本が完成しました。
それが「忘れな草~大好きな奈那子さんに捧ぐ~」という当社の本、第一号です。
「母の写真も私宛の手紙もすべてこの一冊に入れたので、
ここに立ち返ればいつでも母がいる、母が詰まっています。
正常な時間の流れではなかったからできたことかもしれません。
今見れば、稚拙な本です。でもこの本を作ったことを、本当によかったと思っています。
誰よりも一人になった父が喜び、感謝してくれました。
父はよく涙しながらこの本を抱きしめて寝ていた、というのは後で耳にしたことです。
そのときの想いから、一人でも多くの方に「この本を作って本当によかった」、
そう思える、世界で一冊の「抱きしめたい本」を作っていただきたい、
というのが当社の願いであり、そのような本を作るお手伝いこそ使命だと思っています。
皆様が生きてこられた日々、経験は一つとして同じではない唯一無二のもの、
つまりは生きてきた証です。
人間の欲求としてやはり何かを残したい、という想いはあるはずです。
その財産を、ぜひ形にして後世に残していただきたいと思うのです。
本は、食べるもののように、なくても困るものではありません。
なくても生きていくことはできます。
「私ごときが本なんて…」と仰るかもしれません。
でも唯一無二の「私だからこその本」なのです。
その本はあなたの伴走者として、それ以降の人生を支え、応援し続ける一冊となります。
「紙碑」と言われるように、亡きあとも残り、国立図書館に永久保存される、あなたの分身です。
本という生きた証を残すことで、あなたの分身が歴史の一部になります。
その後当社は2003年10月10日に㈱木戸製本所より独立して、
㈱ミューズ・コーポレーション 喜怒哀楽書房として新たな一歩を踏み出し、
現在に至るわけですが、毎日がまさしく喜怒哀楽の日々です。
でも、ここには日々の「喜怒哀楽」を本として残していただきたい、
という当社の想いがこめられています。
ほんの一握りの人だけが表現できるのではなく、
普通の人が人間として普通に持つ、
自分の生きた証を残したい、という欲求の答えとして。
ただ困ったことに、一人でも多くの方に「抱きしめたくなる本」を提供したい…
とは思っても、
大手の出版社でもないので、そうそう宣伝費もかけられません。
ですから、これをお読みくださり、当社の想いに共感してくださる方、
そのようなあなた様こそ、当社とご縁があった方なのです。
"喜怒哀楽書房"のこれから
ブックエンターテイメントグループとして
今は自身の考えや企業のアイデンティティを本にしたり、
特別な一冊の絵本や写真集をつくり、ギフトとしてプレゼントしたりすることも簡単にできます。
私たちは新しい時代の「本」の価値を、この大好きな新潟の地に創造し続けていきます。
そのために、しなければならないことはまだまだ山積みです。
一人でも多くのお客さまに「予想した以上の出来映えだった!」と喜んでいただけるように、
大手ではなしえない、かゆいところにも手が届くような会社になりたいと思いつつ、
これからもコツコツと仕事を続けていきたいと思っています。
「本づくりを楽しむ あなたも私も」 ご縁のあることを願っています。
長い間、お読みいただきありがとうございました。
以上で当社の自己紹介を終わりますが、お互いを知ることから、対話・コミュニケーションは始まります。
次回は、あなた様のお話・物語をお聞かせください。
お待ち申し上げております。
株式会社ミューズ・コーポレーション
喜怒哀楽書房