小西 瞬夏 様 (岡山県・岡山市)

 

▲第1回「海原賞」(「海程」後継誌)を受賞した著者

 

 本年10月、第二句集『一対』を上梓した小西瞬夏さんにお話をお聞きしました。

 

Qようやくの上梓ですね

解説をお願いした方がご苦労されたようで「今回の句集は一筋縄ではいかなかった」と、原稿が固まってから一年半待ちました。句をわかるように、納得させるようにどう解説を書くか、本当に難しかったと。乗り放題の切符と私の原稿を持って、何回も電車でぐるぐるしたと言っていましたから(笑)。

 

Q 俳句がわかりにくいということ?

作品が大げさでしょ? それが個性でもありますが、少し作り込み過ぎというか、脱皮しなきゃいけない時期だと。句集を見返して余計に感じます。そのままを映した方がもっと深くなるのに、屈折させたり重ねたりするのが好きで。

 

Q その原点はどこに?

学校で俳句を習った時も古臭いし、ぴんとこなくて嫌いだった。でも、なぜか高校の時、古本屋で山頭火句集を買ったんです。「うしろすがたのしぐれてゆくか」とか「どうしようもないわたしが歩いてゐる」とか、俳句だと思わなくて短い詩はかっこいいなぁと。親の転勤が多く高校は一人で福岡の寮に残ったので、結構好き勝手できて仕送りも本や映画に使っていた(笑)。

結婚して岡山に来てからは、映画好きが高じて「岡山映画祭」に携わることに。集まってくる人たちが面白くて、毎月、ゲストを囲んで食事をする会を催していた。句集の解説を書いていただいた方もその時のお一人で、その後に来たのが俳人の方。せっかくだからと句会をしたのが最初で、その時、俳句って普通の言葉でいいんだ、と。短くて早く勝負がつくから性にあっている気もした。それが35歳のとき。

 

Q それからは一気に俳句へ?

当時は、3人の息子の一番下が5歳の頃。でも句会以来、自分のなかにあった何かがむくむくと(笑)。言いたいことを言い、書きたいことを書くようになったが、次第に俳句はそんな甘いものじゃないと気づいて。ちょうど信頼している方に「結社に入って勉強した方がいい」と言われ「海程」に入会したのが49歳の時。

句会もその後の飲み会も楽しいし、賞に入ったり褒められればうれしい。でも51歳で第一句集『めくる』を出して、こうありたいという自分の生き方や思想が俳句と一致しだしたら、俳句を作ることが表面的なことや、言葉遊びじゃなくなった。それまではゴテゴテさせたり作り込んだりするのが好きだったから、そうではなくシンプルな言葉で、飾らずに…と、どんどんはまっていった。

 

 

▲漆黒のカバーには、一対の文字が箔押しで。地模様は特色銀。カバーの下にひそむ表紙は深い赤色。(『句集 一対』はAmazonで購入可能です)

 

Q その過程がこの度の『句集 一対』に?

第一句集以降の5年間のものなので、途中から、より精神的になってきて前半と後半では大分雰囲気が違うと思う。その辺りが見えるよう、あえて時系列で並べている。ちょうど御社から選句サービスの案内が届き、第三者の視点も欲しいと思っていたのでいい機会だった。句集を出すことで、変化したことも、変な癖も、次の課題も見えてくる。ここで一度整理して、次のステージに向けて修行が始まっていくというか。

 

Q 求道者みたいですね

今までやってきたことが全部俳句に集約されている感じはする。俳句ってちょっとずつハマるんですよ(笑)。自分が見えて課題が出てきて、いくらやってもこれ!って納得できるところまでいかない。「降り始める雪」と「雪降り始める」じゃ全然違うし、やってもやっても完成しない。34歳までは俳句が私の人生に出てくるなんて思ってもみなかったのに不思議。なんでこんなに好きなのかなぁって。

 

Q でも楽しいわけですよね?

たの苦しい(笑)。楽しいだけは駄目なんです。負荷があってステップアップ、深化が感じられることにしか興味がないみたいで。もっと楽しくやればいいのに損な性分です。

 

  『句集 一対』より

 春寒のあの黒猫を抱きなさい

 だれも見てゐない雛になりすます

 髪梳けばどこかで雪の崩るる音

 少年の唇月光の匂ひせむ

 おほかみの面影として手鞠唄

 

★午前は夫の会社の経理、午後はご自身が主宰する学習塾、そして嫁の務めと、おおらかに三足の草鞋を履きこなし、寸暇を惜しんで俳句に没入する。数年前には同じく俳句好きの友人と、朝7時に運動公園に集まって30分吟行、10句作って、近くで朝食をとりながら30分句会をしてから仕事に行くということを週一でやっていたとか。生きることと俳句が同義。「たの苦しい」ってすごくいい。(木戸敦子)