井出 京子 様(山梨県・甲府市)

 

▲歌以外にも日舞に蘭の栽培にと充実の毎日

 

短歌を始めて十二年、十月に歌誌『富士』に発表した作品から
三五〇首を収めた歌集『銀の花芽』を上梓された井出京子様にお話をお聞きしました。

 

Q 出版の経緯からお聞きします
短歌の三十一文字にはその作り手の、その時々の機微が描かれます。
短歌を始めた頃から、いつかは歌集にまとめて家族に残したいと思っていました。
とは言え、歌歴も短く歌に自信のない私はこの世にはまだ未練あり遂げられぬ 夢の一つを夫にも告げずと歌に詠んでいました。何かの折、それを知った夫が「素直に主宰の先生にうかがってみるのが一番だよ」と背中を押してくれました。師である川﨑先生は、「『富士』に載っている歌の中から私が選歌します、十分な歌数はありますから歌集は出せますよ」と喜んでくださいました。
先生にお聞きした翌年の令和二年は、ちょうど七十七歳でもあり、そうだ喜寿の記念に出版しようと決心しました。

 

Q 本を出すまでのご苦労は?
先生に選歌をお願いするためには、今までの十年超の歌をパソコンに入力し、そのデータをお渡ししなければなりません。
不得手ながら昼夜パソコンに向かいましたが、出版の夢に向けた作業だったので、むしろ楽しみに変わっていきました。出版のことなど全くの未経験ながら、その後のことはすべて川﨑先生と喜怒哀楽書房様のご指導により、難なく進めることができました。
コロナ禍で自粛や家に籠っている期間が、私には追い風となりラッキーな時間となりました。

 

▲明るい表紙は作者を彷彿とさせる

 

Q 出版された本を手にした時は?
歌集が届けられる日は、まるで子や孫を待つ気分で受け取りました。
私の歌は家の周りの自然や生活詠が多く、自身の生きた証、自分史と思っておりますので、家族に歌集を残せたことに満足しています。
沢山の本の山を見た時、さてこの発送・配付をどうしたものかと考えました。
幸いにも、ネットを利用する「クリックポスト」はどう? という息子の協力があり、宛名貼り・封筒詰めは夫が手伝ってくれました。
知人や友人に進呈した後の反響は想像をはるかに越え、本人である私以上と思えるほど、とても喜んでくれ感激しました。
従姉妹(詩人の星乃真呂夢)も、適切な評と今後のエールをくれました。
今は人生の一区切りになったと安堵し、次への希望に向えると思っています。

 

Q これから先は?
わが家には農地があり、野菜や果実を栽培しています。
家籠りの間もストレスを溜めることなく青空の下で働き、秋冬の野菜も例年以上に青々と茂っています。
歌集名も「飛び来たる椋よ辛夷に啄むな空に光れる銀の花芽を」の歌からとりました。庭の真ん中の家を新築する際に夫と探し当てた辛夷の木は、木陰でコーヒータイムを楽しんだり、小鳥を眺めたりと、一年を通して生活とともにある木です。
また、以前から趣味で育てている蘭は、寒さにも暑さにも弱く、最近の地球温暖化による猛暑は蘭に大変な打撃を与えています。それでも、今年もすでに花芽が出始めた鉢があります。新しい蘭の苗を東京ドームで開かれる「世界ラン展」で買い足したいと思っていましたが、コロナ禍でその願いは叶いませんでした。ワクチンや治療薬が早く出回ることを切に願っています。
短歌については今回の出版を機に、これからの老いの人生を大切に見つめ、その一つ一つの思いを歌に残していきたいと思っています。

 

歌集 銀の花芽』より
入りつ日の光反して田植待つ水田さざ波大いなる湖
ずんずんと積もる大雪夕闇に老いの二人を家ごと包む
明け暮れに明かり振りつつ野の道に誰ぞ大きく空を仰ぐは

 

 

▲シンビジウム、デンドロビウムなどご自宅は蘭でいっぱい

 

★お会いした第一印象は、ぱっとその場が明るくなる向日葵のような方。
聞けば夫と同じ職場で働いていたが、夫の管理職昇進により退職勧奨、翌年は新しい職場にうつり定年まで勤めあげたとか。
そこでは定年後の趣味・生きがいづくりを提唱する仕事に就き、まずは「隗より始めよ」と自らが蘭の栽培を始め、六十三歳からは日舞を習い、短歌を始めたのは六十五歳だったという。
一線で働き続けたあとは、趣味と日常を充実させ、色とりどりの花を咲かせ、名取となり、歌集に結実させるという人生。
今、コロナ禍でも人生の祝福にあふれている。(木戸敦子)