正原 久美子 様(埼玉県・幸手市)

 

『浜木綿の夢』をまとめようと思われた経緯からお聞きします
ひとつは、第一歌集『ひなげしの花』を上梓した翌年に亡くなった母から、第二歌集も勧められていたこと、次に夫の退職後、取り憑かれたように船旅をしていた私達に夫の友人から旅の本を出すように勧められたこと、さらに孫娘が小学生ながら歌集の中の彼女に関する歌を読んでくれていたことです。
当初の予定では夫の古希と私の緑寿の年にと思っていましたが、コロナ禍になった途端、私にポリープが見つかり、海葬(和布刈神社の散骨)のことも頭をよぎり、早めにまとめることにしました。
また、第一歌集を出した短歌研究社の「短歌研究」の5首の投稿欄に海外旅行詠をずっと投稿していましたが、選者の先生方から準特選に度々採っていただいたことも第二歌集への弾みとなりました。

 

▲下関市角島の浜木綿

 

原稿をまとめる際に注意した点などありますか?
入会して21年になる「日本歌人」に毎月8首ずつ出詠しています。歌集の歌はほぼ年代順ですが、旅行詠は地中海や英国でまとめたものもあります。毎月テーマを決めて詠んだ8首を7首にしたりして、4首組のページに余白がでないように原稿をまとめました。それから、歌を没にするとその時の事を忘れてしまうような気がして、歌を絞り込むということはあまりしませんでした。その結果、歌集には796首が収録され、旅行、孫、母、花の歌が多くなりました。
また、出版社にはページを組むのに決まり事、出版社の美学があることもわかり勉強になりました。


少しずつ本という形になっていく際の心境はいかがでしたか?

表紙の装画と挿絵(各章の題の下)を娘婿が、題字を娘が書くことになり、それを聞いた孫娘二人も習字や絵で応援してくれましたので、その仕上がりがどのようになるのかとても楽しみでした。
また表紙のカバーの浜木綿の絵に、空と海のイメージで色を入れてほしいという私の希望をよく汲んで下さり、別扉もその空と海の色に合わせて客船の窓を思わせるデザインが施され、とても満足しています。
それから表紙の色と字は第一歌集が臙脂(えんじ)に金色の箔押しだったので、第二歌集は紫に銀色の箔押しと心秘かに思っていました。ただ紫は色褪せするのではと迷っていましたが、スタッフの菅さんに背を押され紫にして素敵な表紙になりました。

 

 

『浜木綿の夢』への反響はいかがでしたか?
第一声が孫の絵と習字への賛辞、続いて娘夫婦への賛辞、そして装丁が素晴らしいというのが殆どでした (笑)。
孫娘二人が一番喜んでくれました。自分たちの絵や習字が本に載っているのが嬉しかったようで、「次の歌集はいつ出すの?」と聞かれました。また絵や字をかいてくれるそうです(笑) 。
心に残った感想としては、
★「花の歌人」と思っていたが、この歌集は「海の歌集」。「海の歌人」と印象深く読んだ。
★コロナ禍を私の歌にスマホで検索しながら、世界を旅した。
★跡取り娘で私と同じく家を継がなかった方からのお手紙。
★関門海峡800年のロマンを感じた。
★歌人の方々から、お好きな歌の選歌だけでなく、立派な書評までいただいた。

 

▲百人一首をする孫達

 

『浜木綿の夢』をまとめてみての感想
浜木綿はふるさと下関の市花です。『浜木綿の夢』で私のルーツを孫たちに、母の最期と、父母と子を関門海峡に散骨(和布刈神社の海葬)したことを親族に、夫と私もいずれ散骨することを縁ある方々にお知らせできて良かったと思っています。またそのように言われました。散骨は私にとって非常に悲しいことでしたが、歌に詠み歌集にまとめたことで心の整理がついたように思います。


近況

コロナ禍を、夫と二人で庭いじりをし、万歩計を買って近くの花々を楽しみに散歩しています。そして、孫たちの期待に応えるべく(笑)、次の歌集に向け歌を詠んでいます。
実は、歌集ができて2週間後、下血があり大したことはなかったのですが、細胞が弱まっているのを痛感し高齢者になるとはこういうことかと思いました。コロナウイルスが次々と強力に変異していくなか、体弱きは何事も早めにという母の言葉をかみしめています。
 

好きな歌5首

水芭蕉の墓標のごとき花群(はなむら)を蝶離れねば亡き子思ほゆ
潮風に白き花びらなびかせて大海(わたつみ)を行く浜木綿の夢
クルーズの夜会ドレスに蘇る梅しだれ咲く母の紋付
読機(よみき)押すや札取る美花ちやん下の句を言ふ彩花ちやん褒むる間もなく
散骨は海に溶けゆき海になる浜木綿の実を乗せ来る海に

 

▲育てた蘭と居間で

 

歌集『浜木綿の夢』をご希望の方は
メールアドレス:kumitaka01@gmail.com 正原まで
費用:3,500円(送料・税込み)