今年5月に詩集『私を呼ぶのは』を発行した金宝寺の僧侶、朝倉安都子さんにお話をお聞きしました。
Q 今回の詩集出版は?
今まで4冊詩集を出していて、前作からは11年。還暦でもあり、ちょうどいいきっかけだと思って。作品を1枚1枚にしておくより、まとめて自分に自分でお祝いをしようと。母は69歳で亡くなり、次は喜寿のお祝いができるものと思っていたのに結局は還暦のお祝いが最後に。
Q 昔から詩を?
実家もお寺。三姉妹の真ん中で家が大好きだったが、ここで守られていてはだめだ、どうしても行かなければ! と思い、大学卒業後上京。親は反対したけれど。でも希望する就職先には入れず、昼は小さい会社で働きながら夜は日本文学学校に通った。実力をつけ、ひとかどの人間になりたいと思っていた。その入校式で、にこにこしながら「君たちをみると毎年幼稚園の生徒のように思うんだなー」と挨拶したのが、詩人で副校長の菅原克己だった。「幼稚園なんて失礼な!」と思ったが、微笑んで語りかける年配の男性が新鮮で信頼できるものを感じ、この先生についてみようと思った。それで、思ってもみなかった詩を書くことに(笑)。
Q 出会いありきだったのですね
東京で4畳半のアパートに住んで…よく師の言葉に救われた。「死ぬまで詩を書き続ける人が詩人だよ」また「すべての時が詩になる美しい時」「仕事のことを書きなさい。生活のことを書くんだ」。「私みたいなちゃらんぽらんな」という言葉を書いた生徒には「自分をちゃらんぽらんなんて言っちゃいけないよ。たとえ人が言っても自分だけは自分を大事にするんだ」と。
師の言葉・人間観に常に励まされ、次第に私は本当は人生に何を求めているのだろうと思うようになった。その後、地元に帰り、結婚して子どもをもうけたが、東京での数年間は「生きていける」という自信をつけてくれた。
Q お寺の他にも様々な活動をされていますが?
以前は嫁としていなくてはいけないと言われ、仕事はお茶を出すだけ。主体として感じられることがほとんどなく、男性社会のお寺でどう生きていったらいいのか、本当に苦しかった。
そんな時、出会ったのが公民館の女性問題や子どもの権利を考える勉強会やサークル活動。自分を認めてくれる平らな仲間や、社会とつながっているという実感や場が必要だった。
Q 今後は?
僧侶も詩も女性問題も、死ぬまで続けていこうと思っている。そうじゃないと詩人になれないし(笑)。お経を読みにいける間は行くし、行けなくなったら留守番。それもできなくなったら、そのときできることをする、微笑むとか。実家の父親は今認知症だが、私を大切に思ってくれる人がいるだけでいい。私が生きていることも、子どもたちにはきっといい、だから長生きしようと思っている。
やっとこの頃、毎日を大事に生きようと思うようになった。母が8月末に亡くなり、9月が来たとき、陽の動きや雲の流れ、なんて美しい季節だろうと感動と哀しみを持って見た、母が生きたかった9月を…。普段は感覚が鈍ってわからなくなっていても「すべての時が詩になる美しい時」は本当だと。「できなかったなぁ」という日も多いが、振り返ったとき「こうして生きてきた」という道ができている、と先輩の女性僧侶に教えてもらった。詩集もそう。まとめると「こうして書いてきたんだなぁ」と感慨深い。
今、息子も僧侶となりお嫁さんもできた。彼女も彼(息子)のストーリー(history)ではなく、ハーストーリー(herstory)を生きられるように願っている。私も自分のハーストーリーをつむいで生きていきたい。
『私を呼ぶのは』より
「父の日に」より抜粋
私の子どもたちよ
遠慮なく 私に 悪態をつきなさい
皺が増えた… 何回も聞いた… また忘れた… と
それらが 私のほとんどを占めるようになってさえ
まだ あなたたちにしてやれることがある
そして
いずれ あなたたちも 気づくだろう
誰もが その途上にあることに―
★師の教えが、今も日々の生活に息づいて、こうやってまた多くの方に伝播していることに、言葉と想いの強さを感じる。同時に、その人を想う愛というものの力が、その人を突き動かす勇気になるのだと。仏教用語の無財の七施のうちの一つ「和顔施」。かろやかに、しなやかに、にこやかに。何をも受け入れる朝倉さんの笑顔の奥にある強靭さを想った。(木戸敦子)