松田 雄姿 様 (千葉県・柏市)

無題
▲80歳を越え、ますます忙しくなっているという松田さん

今年2月、『大野林火言行私録』を上梓した松田雄姿さまにお話をお聞きしました。

待ち合わせの上野公園の一角。テラスに座る松田さんは何かしたためていた。きっと5月のこの清々しい空気を詠んでいたのだろう。師事した大野林火が「浜」に記した言葉の数々を、項目ごとに本書にまとめた、そのきっかけからお聞きした。

【Q】 大野林火先生の「浜」に入ったきっかけは?
昭和40年代は安保闘争や学園紛争で殺伐とした時代。大塚警察署の警備責任者として、目白の田中角栄邸の警備の他、極左のゲバ取り締まりや労働争議の警備、右翼対策などに当っていた。当時、自署の交番も爆破されるなど、寝る暇もない忙しさに署員の心もすさんでいた。人生これではいけないと思っていた時と俳句が軌を一にしていたかもしれない。それまで俳句は仕事の傍ら細々とやっていたが、本格的に始めるため「浜」同人の友人に添削をお願いした。ところがその句を添削のほか関西の「浜」句会に出してくれ、その成績も良いので、林火先生の指導を受けた方がいいということで「浜」に入った。初めて投句した句が「浜」の昭和50年2月号に掲載された。3、4句は載ると思っていたが、載ったのはたったの1句。俳句の手強さを知り、かえって闘志が湧き、次は2句だ!と努力した。

【Q】 それからは熱心に投句を?
先輩の勧めで、初めて出た銀座の句会で先生の特選をいただき、もう1句が最高点に。今考えれば、ビギナーズラックでしかないが、その大ヒットで自信を得て可能な限り句会に出席した。特選は先生なりの営業だったのかも(笑)。先生の添削を受けるため、毎月30句以上送ったが、先生は句稿に◎〇△の印をつけ、◎の句は頂きましたと朱書し、コメントを付けて返送してくださった。当時、会員の半数近くが先生の添削を受けていた。昭和57年に先生が亡くなられ、指導が受けられず悩んでいた時、角川賞を受賞した小熊一人さんともう1人の先輩が「浜」創刊号から私が入会するまでの号を譲ってくれた。

【Q】 その全ての号に目を通された?
せっかくいただいたので目を通すと、各号に林火先生自ら、俳句をつくるうえでの欠かせない大切なことを記しており、宝物だと思った。以後、暇を見ては読み返し、感銘したところをメモしていた。数年かかって読み終えたが、忙しくてメモはしまったままに。

p4大野林火本
▲百鳥叢書第92編『大野林火言行私録』どこを読んでも俳句のエッセンスが散りばめられている

【Q】 膨大な量をまとめるのは大変だったのでは?
項目ごとにまとめるのに一番難儀したが、その項目の分け方がよかったと読んだ方は言ってくださる。先生は「作句上の細かな技巧など、そこらの指導者に任せておけばいい」と常に俳句の基本的なもの、精神的なことを中心に書かれていた。例句や事例は、やや古くなった面もあるが、その言行は俳句の神髄を衝き、今なお学ぶべきことが多いと、今回まとめてみて改めて感じている。

【Q】 反応はいかがですか?
本書を作句のバイブルにしたい、もっと早くこの本に出会いたかった、すばらしいエッセンスがつまっている…等々、おかげさまで好評を得ている。それは、一見異なって見える事象や考え方も「人間性」「個性」「自己の追求」といった本質が先生の語録に通底しているからだと思う。80歳を越えてからまとめたわけで、気力も低下し途中で投げ出したくもなったが、出してよかったと思っている。

【Q】 気力を振り絞れた源は?
今の俳壇は、何か大事なものを忘れている気がしてならなかった。松があったとして、枝先がどうこうとかいう唯事俳句や一部の人にしか分からない句を作り、分からない読み手が悪いという風潮。松には幹があり、枝振りがあり、そういう根幹を忘れている。俳句は大衆文芸、やはりわかってもらわないと。人の心を打つ俳句をつくらなければ若い人も入ってこないし、俳句が衰退していくという危惧を抱いている。

【Q】 そのために方々で指導を?
今は月に10回、3日に1回のペースで句会に出たり、指導に当ったりしている。また、「松籟」という誌上句会仲間の会報を出しているので、自分の句を作る暇がない(笑)。いい人が育ってくれればいいし、いい句が出るとうれしい。今82歳、あと何年生きるかわからないが、俳句で自分史を著せないかと思っている。生い立ちや故郷、両親や職業等を詠んだ句に解説をつければ、わかりやすい自分史になるのではないかと。今少し書いているが、文章がへたくそでくどい。もうお金も時間もないから出せないかな(笑)。

★職業柄か一見こわもてで、おまけに肥後もっこすの松田さんだが、語る言葉は豊富でよどみなく、笑顔が実にチャーミング。「夢中になっていることは?」の問いにも「実はないんですよ、毎日精一杯やっているだけ」と真顔で答える。たくさんの人を育てた師と同様、使命感を持ち、好きなことに一所懸命。すばらしい生き方をされている当人には、自分の姿はわからないものなのかもしれません。(木戸敦子)