11月11日(金)、本年11月に『オレンジの風』『黄色い風景』『マリンブルーの椅子』に続く第4句集『緑の時間』を上梓された岡田恵子さんにお話をお聞きしました。
Q 前作から5年後の出版ですね
たまたま2作目が第一句集から5年後だったので、5年毎に句集をまとめてみようと思った。元来が怠け者。物事はすべて流れていくから、いつかしようと思っている間に死んでいくんじゃないかって。自分を律する意味でもどこかで区切りをつけようと思った。
Q 俳句との出会いは?
娘が小学校に入学するころ、近所で習い始めた。当時指導にあたっていたのが所属する「山河」の故小倉緑村代表。その自由闊達な俳句に出会い「俳句は一行詩、あなたの思ったことを詠めばいい」の言葉に後押しされ、今日に至っている。最近、さすがにそれだけではいけないことがわかってきたけど(笑)。
Q ご出身は四国ですよね
香川の田舎で育った。大学に行くつもりはなく高校を出たら働こうと思っていた。高校が学びの最後と思い、自分なりに勉強と部活(バレーボール)に没頭した。試しに受けた大学に合格したこともあり、結局東京の大学へ。それからはカルチャーショックの毎日。友人との会話一つとっても、その内容や文化は異次元だった。でも好奇心は旺盛で、卒業後はアメリカに行きたかった。一度地元に戻って就職し、お金を貯めながら英語の勉強を続けていた。アメリカで勉強をしたい若者を募っている団体に応募し、ある日「明日アメリカに行くから」と親に告げて旅立った。
Q 明日ですか(笑)
だって、言ったら反対されるのわかっていたから。それでも父は岡山まで送ってくれた。オレゴン大学やホームステイで1ヵ月過ごし、一旦は帰国するが東京で働くつもりだったので、友人の家に転がり込み実家とは音信不通。今考えれば不良よね(笑)。その後、お風呂もない小さなアパートに引っ越した。ある時、突然父がアパートに。居場所は地元の一番の親友だけに伝えていたが、どうやら彼女に聞いたらしい。遊び歩いているわけではなく、昼間働き、夜は学校に通うという生活を見て許してくれたのでしょう。見るに見かねたのか、最後は新しい布団と玄関の鍵をもう一つつけて帰っていった。
Q 親ってありがたいですね
ただ、その時「知人に頼まれた男性に会ってほしい」と言われ、その男性と同じ誕生日だったこともあり承諾した。それが今の夫! 当時、裸電球に机一つだけの何もない部屋に住んでいた。夫はよく娘に「あの時ママを拾ってあげたんだ」って話しています。
Q ヨガを教えていらっしゃいますね
ヨガは、地元で働きながら通った英会話学校の友達に紹介された。アメリカ行きを模索している時、やりたいことに対する自分の実力がないことも分かっていて内心忸怩たるものがあった。そんな時に出会ったヨガは、心身ともに私を開放してくれた。約40年続け、小規模だが今は6ヶ所で教えている。日本にヨガを伝えたのは空海。故郷の四国は空海が生まれ修行した地ということもあり、ここ数年は1年に1回のペースで遍路歩きを続けている。
元々旅は好きだから旅吟は多く、今回の句集には四国、芭蕉足跡の地、佐渡や隠岐、中欧で詠んだ句も入っている。一度旅に出てみると、自然や土地の人々との出会いが楽しく、歴史上の時代にタイムスリップしてやみつきに。半年位前から、家族には内緒で予定を立て、前日玄関にリュックサックを置き、突如として「明日行ってきまーす」って。
Q 得意ですね、その明日パターン!
だっていろいろ聞かれるのいやだもの(笑)。自由に旅をしたいから。わがままこの上ないですね。基本は一人旅。でも今は「まさか自分がお遍路歩きをするとは」という退職した夫とともに私はオレンジ、夫は紺色の輪袈裟を首にかけて歩いている。ようやく半分を終え、まだ数年かかるが楽しみ。
Q これからは?
ヨガ的には「今を生きる」という精神がある。与えられた遺伝や環境、出合いに寄り添って今を生きる。あとは自分が必要とされていること、少しは役立つことにできるだけ時間を使って生きていきたいと思っている。
『緑の時間』より三句
日本の祈りの形青田風
告白の締切り日です冬紅葉
大甕の底賑わえり夜の雪
★句集の「あとがき」を書かれた安西篤さんの岡田さん評は“蜜柑味の清少納言”。「知的でキビキビした感性は清少納言そのものだが、決してクールな固さではなく、すこし日向くさい親しみも感じられる」というもので、まさしくその見立て通り。5年前の句集をお手伝いすることになった時「じゃあ23日に新潟に行きますね」と、実にフットワーク軽く当社を訪ね、その場で表紙等も即決し、佐渡に渡っていかれた。今年、東京駅でお会いした際も「せっかく近くまで来たし行ける時は」と別れ際、原発反対デモの国会へと向かわれた。心身はつながっている。岡田さんの小柄でしなやかな体躯と精神もしっかりとつながっていた。 (木戸敦子)