谷知 由紀子 様(神奈川県・大和市)

4月4日、昨年9月に喜寿の記念として『句集 新しく』を上梓された
谷知由紀子さんにお話をお聞きしました。

▲何ごともまずはやってみないと!という体験派の谷知由紀子さん

Q 俳句との出会いから
子育て中の頃、感受性が強かったこともあり、文字で何かを表現したかった。
なぜか虚子の「流れゆく大根の葉の早さかな」という句が心に残っていて、
ならば俳句だ!と思い、当時住んでいた社宅の近くにできた丸井カルチャー教室の門を叩いた。
右も左もわからない状態だったから、会のおばあさまたちが親切に教えてくださった。
まずはやってみよう!と、無謀にも日経新聞や東京新聞に投句を始め、飯田龍太、
中村汀女、山口誓子といった方々の選を得ることも。雲の上の人が私の句をわかってくれた、
その格別な喜びが支えとなり、今も俳句を続けているのだと思う。

鶏頭へふいに揚羽の出て来たる
手紙書くものみな寒く見ゆる日に
ライトバン停めて一家の袋掛け

Q それからは俳句一途で?
いえいえ、それ以後は結社に所属したものの、締切があるから何とか詠んできた程度。ただ「読む」と「詠む」の両輪は意識して続けた。でも、まずは主婦としての生活、日常が大切で、それを犠牲にしたら失格だと思っていたので、日常の生活の中でできるものとして俳句が合っていた。

横ざまに草へ自転車夏来る

日常で気になったり、あっ、草の上に自転車が寝かせてあるな、
ということをメモにして、あとで辞書をひいたりしながら句を作る。
今回の句集は、この辺で整理しないと、という身辺整理の意味と、
体力的にもギリギリだと判断し区切りをつけた。
プロの方は句集を作品として発表し世に問うが、これは私の精一杯の自分史。

嫁ぐ子に砥石持たせん柿若葉
夫入院
病者らに今宵花火の窓のあり
父が出て母にすすむる柚子湯かな

Q 満足のいく句集に?
8月生まれなので、夏がスタートの句集としたが、まとめてみたら不思議と夏の句が一番多かった。
最初、御社で夏の句なら三夏(初夏・仲夏・晩夏)と分けてくださったことが、まとめる際に非常に助かった。
ただ、改めて一冊の作品として見ると、あと20句程減らして320句位にすればよかったかな、とも。
「小児科に薬擂る音熱帯魚」とか、どうしても古くなってしまう句がある。
句集の場合、古くならない句の見極めが大切だと思った。

新しくパンのお店や日日草

今回の句集名はこの句からとった。飯田龍太の句で「どの子にも涼しく風の吹く日かな」という、
とてもわかりやすい句がある。ちょうど開店するパン屋さんの前を通り、自然と出た句。
最後「新しき」とするべきか迷ったが、これでよかったと思っている。
ありがたいことに皆さん深読みしてくださるのですが、常に新しくありたいとか、
そういう高尚なことでは全くないの、たまたま通っただけで(笑)。

短冊の贋物かとも古茶啜る
さっきからこっち見てゐるサングラス
煙出てきさうになりて日向ぼこ

▲佳き空気感の満ちた『句集 新しく』

Q これからも俳句を生活の中心に?
俳句は自分を慰めてくれるものではあるが、この句集をまとめたことで
これからは優先順位を1・日常、2・瞑想(ヴィパッサナー瞑想)、
3・俳句としたい。ヨガや瞑想は若いとき、体調が優れないと怒りっぽくなったりする、
そんな自分がいやで始めた。気持ちが落ち着き、すっきりする。20年位前、
まだ夫が健在の時に、より自分のことを知りたいと思い10日間の瞑想合宿に入った。
そうしたら「自分はなんて悪い人間なんだ」ということを思い知らされて、
お腹に力が入らなくなった。それを夫に告げると
「そんなこと、最初からわかってた」って言うのよ(笑)。
でも、行法の一つの慈悲の瞑想では、まず自分。
自分が幸せにならないと余裕は生まれないから、周りの人も幸せにできない。
あとは死ぬだけ、その日まで俳句をつくりながら、より自分と人への理解を深めていきたい。

★生まれは今の新宿伊勢丹の辺りというチャキチャキの江戸っ子の谷知さんは行動する人。
好奇心旺盛で、ご自身で見て聞いて納得しないと先へ進めない。今回の句集の件でも、
10年前の「お宅で句集を作ります」という約束を守り、昨年「じゃあ〇日に新潟にうかがいます」
と連絡があり、社内ではデザインや紙をいくつか見たりしながら「じゃあこれにします」と、
ぱぱっと決め帰っていかれた。はっきりとした意思をお持ちで、一緒にいると実に清々しい気持ちになる方だ。
(木戸敦子)

※『句集 新しく』をご希望の方は弊社までご連絡ください。著者より3名の方に進呈致します。