朝霧社
夏期歌会・新鋭賞受賞式・
歌集出版祝賀懇親会
主宰 山村泰彦様
〒399―0036
長野県松本市村井町南一丁目29番31号
芒の穂がゆれ、少し秋の気配をまとった信州。8月31日、塩尻市の中信会館で開催された朝霧社の夏期歌会及び新鋭賞受賞式・歌集出版祝賀懇親会にお邪魔しました。
朝霧社は、若山牧水の創刊した「創作」の流れを汲み、昭和28年、若山喜志子を顧問に山村湖四郎が中心となり発足した会。平明で個性豊かな詩情に富む、現代的な知性ある短歌を作歌の指標としている。
60名の方々が一堂に会する様子は圧巻。ロビーでも会場でも、楽しそうに会話する姿が見受けられる。
9時半、亡くなられた会員の方への黙祷のあと、主宰である山村泰彦さんよりご挨拶。最後は「今日の日が、明日からの作歌の糧になることをお祈りします」と締めくくられた。
早速、歌会にうつり、事前に提出された77首を4人の選者が分担して選評し、その後、互選をする。
◎1位/やんわりと背を打たれて見返れば蚊を逃したる妻の手のひら
嶋﨑暉久
初句の「やんわりと」ではなく、「軽く」とはっきり言った方がいい。「軽くわが背を打たれて見返れば妻の手のひら蚊を逃したり」ではいかがか。妻とのひとときを、よくとらえている。
◎2位/仕上げたる人形「静」を手放す夜もの言へぬ唇に紅ひき直す
井坪富貴子
丹精込めて作った静御前の人形。手放す最後の夜、何も言わない人形に紅をひき直す、この感じがとてもいい。詠みっぷりも確か。
◎3位/臥す妻の洗濯ものを畳みつつテレビに明日の空模様聴く 中嶋重臣
粛然とする読後感。切ない歌で身につまされる。この方はテレビを見ているのではなく聴いている、つまり手は動かしながら「明日、洗濯物は夕方までに乾くのかなぁ」などと、心をすまして聴いている。老いは寂しいものだが、これを歌にするところが素敵であり、歌になるのだと教えられた。
◎4位/病む母の記憶は生れし家に帰り童女となりて野山を駈けをり
上條ひろ子
「病む母の心は生れし家に帰り童女となりて野山を駈けいる」とした方がいい。「をり」だと説明的になる。
◎5位/やわやわとほぐれ咲きたる夕顔に話しかけおりこころ軋む日
横山憲子
一種の心象詠。何か、心のいらだつことがあったのだろう。思い切って散歩に出た庭先に、可憐でふっくらとした夕顔が咲いていた。花に語りかけているうちに、気持ちが落ち着いてきた。
◎6位/栗の花咲く坂道を立ちこぎの朝の学生リュック躍らせ 塩原芳子
栗の花が咲く初夏。高校生たちが、坂道を自転車で立ち漕ぎをしながら行く。よく見ると背中のリュックサックが躍るように揺れている。高校生たちを、温かな眼差しで見守る作者だ。
◎7位/バリカンで刈り上げし子の襟足より夏の暦が動き始める 宮尾ゆき
さわやかで前向きな感じがとてもいい。刈り上げてもらって、何かのスポーツに挑もうとしているのか。「襟足より夏の暦が動き始める」で、いい読後感を味わわせてもらった。
◎8位/老農にボーナスなけれど菜園に地味な野菜の花を咲かせり
小沢恵美子
考えさせる歌だが、「地味な野菜」が合わない。きれいな花を菜園に咲かせると、上句と下句が合ってくる。合うということを頭に入れて作歌するといい。「老農にボーナスなけれどわが畑に白き夕顔の花を咲かせり」。
◎9位/そのかみに美田と呼びしが胸を刺す放棄もできず持て余す田んぼ
小林哲彦
まさに現代の歌。大切に育ててきた田んぼだが、事情によって守りきることができない。そのことが胸をさす。「そのかみ」=「昔は」ということ。「児孫のために美田を買わず」という言葉もあるが、時代が刻々と変わっていくことを、この歌を通して感じる。
◎10位/必勝の手拭いきりりと額に巻いて杏捥ぎおり朝の四時半 北島功
4時半は早いが、夏は涼しくて仕事もはかどる。「必勝」とある手拭いを頭に巻くところが、ユーモアがありながら、ひきしまった気持ちを感じさせる。「巻いて」ではなく「巻き」としたい。
互選賞は6位以上の方に、続く選者賞には1位の方に賞品が授与される。
以下は、各選者賞受賞歌と総評。
◆羽田忠武選者賞
妖精の住むまち緑の北の杜ピッコロの音の遠く聞こゆる 白倉一民
〈総評〉人に伝えることに全力をあげる必要がある。個体を通しての実感、それをとらえて表現することが大切。実感とは発見であり、心のゆらめき。歌は詩でなくてはならない。頭の中で作ったもの、説明ではいけない。
◆山村泰彦選者賞
仕上げたる人形「静」を手放す夜もの言へぬ唇に紅ひき直す 井坪富貴子
〈総評〉わかりにくく、やや曖昧な歌が多かった。下手でもいいから、というと語弊があるが、とにかく自分の思いを伝える、一生懸命書く、歌のどこかに自分が入っている、そういう方向で努力されるとさらにいい歌になる。
31文字に全力を注ぎ、同時にこの歌は俗っぽくないか? という視点も持ってほしい。
◆伊藤亮選者賞
やんわりと背を打たれて見返れば蚊を逃したる妻の手のひら 嶋﨑暉久
〈総評〉日常のどんなことも歌に昇華できる。老いの歌を多く目にするが、老齢なれども老人ならずの気概をもって詠んでいきたいし、心をつくして深く温かく詠みゆく私たちでありたい。
◆百瀬享子選者賞
バリカンで刈り上げし子の襟足より夏の暦が動き始める 宮尾ゆき
〈総評〉一字余っても助詞を入れた方がいい場合もある。リズムからくる受け取り方の感じも、歌にとっては多分にプラスになる。そんなことに注意をはらって作ってください。
〈続いて、出た歌に対する質疑応答の時間〉
Q/オオキンケイギク繁殖力の強きゆゑ群れ咲くままを根こそぎ抜かる
という歌を出したが、外来種でもあり大錦鶏菊をあえてオオキンケイギクとした。どちらの表記がいいのか。
A/最近の辞書は、カタカナで書いているものが多い。チューリップ、アネモネ、コスモスなど、外来語だとはっきりしているものはカタカナでいいと思うが、それ以外、文学として書く場合は日本語で書く、そんな原則でいいかと思う。動物の場合、カナリヤはカタカナで、雀、つばめ、かわせみは、漢字またはひらがなで、ということ。
Q/病む母の記憶は生れし家に帰り童女となりて野山を駈けをり
駈けているのは本人ではなく推量なので、「駈けをり」や「駈けいる」ではなく「駈けおらむ」の方がいいのでは?
A/100%とはいわないまでも、この場合は状況がはっきりとわかるので、断定的に言っていいと思う。
Q/テレビより体によいとの情報にアロマ・くるみにとろろ売り切れ
細かい話だが先ほど選評で、とろろをとろろ芋とおっしゃっていたが、私はとろろ昆布だと思った(会場、少しざわつく)。
A/みなさんどうですか? とろろ昆布ですか。それは失礼いたしました(笑)。
選者より/戦争放棄の憲法は世界一 われは忘れぬ校長講話を
この場合の「ぬ」は完了の終止形と思いがちだが、忘れずという意味の打消しの終止形。「ぬ」より「ず」がいい。この完了の助動詞はよく出てくるので、心して使ってほしい。
会員より/入院の義兄と施設にゐる姉の家にて放つ鉢のグッピー
先ほど選評で、「入院の」がどこにかかるかはっきりしないと言われたが、現在入院中の義兄と施設にいる姉夫婦、その誰もいない家の池に鉢のグッピーを放した、ということだと思う。
Q/必勝の手拭いきりりと額に巻いて杏捥ぎおり朝の四時半
貧しくとも平穏な日本にありたしと北野武氏ぽつりと言ひぬ
短歌では「必勝」や「貧しくとも平穏な日本にありたし」のように、「 」をつけた方がいいのか、つけなくてもかまわないのか。
A/強調したい場合はつけた方がいいと思うが、そんなに思っていなければ、意味がわかっているのでつけなくてもいいと思う。作者にまかせるということ。つけた方がいいと思ったらつける、くらいの感覚で私はやっている。
続く新鋭賞授賞式、歌集出版祝賀会、懇親会では、含蓄のあるスピーチあり、余興あり、全員での合唱ありと、和やかで華やかな時間が流れていた。
★61年という確かな歴史の重みゆえか。歌会から懇親会までの終始一貫、会の懐の深さと余裕、地域にしっかりと根を張っている堅固さを感じた。それは、月刊の歌誌の発刊、年4回の社外および本社での歌会と、弛まずに研鑽を積んでいるから。日常を詠み、晴れやかな歌会で発表する、その「ハレとケ」が日頃の生活にいい刺激とリズムを与えているという印象を受けた。そして、最後の質疑応答では、時間不足で打ち切られるほど女性陣からの質問が相次ぎ、新潟県人とは違う気質にびっくり!
常ににこにことほほ笑み、気配りをされる小児科医でもある山村主宰の柔和さがなせる業なのでしょうね。
(木戸敦子)