ぎんなん句会(東京都・港区)

ぎんなん句会
 
連絡幹事 佐瀬広隆様
(東京都・港区)
連絡先/〒263―0001
千葉市稲毛区長沼原町942―233
sase-f@agate.plala.or.jp
 
12月13日(土)、港区生涯学習センターで行われた「第62回ぎんなん句会」にお邪魔しました。
 当日は真っ青の快晴。小学校を改装した元・教室の机には日が燦々と降り注ぎ、産地の違うみかんやら、奥さま手作りのクッキーなどたくさんのお菓子が置かれていく。
 本日は初めて自由律俳句に対するとあって、選句用紙を見た瞬間にドキリ。えっ短い、そしてこれは長い…。そう、自由律俳句とは五七五の定型や季語にとらわれず、伝えたい感情の自由な律動を一気に表現する韻文の詩型で、口語で作られることも多い。「咳をしても一人 尾崎放哉」や「分け入つても分け入つても青い山 種田山頭火」などはご存じのところ。今日は一人2句出句×21人、合計42句からの8句選。特選を2点とカウントし、その合計点の高い方から互評します。

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▲連絡幹事の佐瀬さん(左)今は亡きお父様も俳人

◎高得点句より
生きていて墨をする        安門 優
この句は特選が4人も!/作者がわかるが、彼女らしく端的でいい/墨の匂いが立ちあがってくるような句。短くてこれだけのことをいうとは、やはり特選/「墨をする」を別な言葉に代えてもいい気がする/つい先日、生き死にから生還した身としては、生きている実感は普通の作業の中にあると感じる。墨をするのは、ただ手が動いているようだが、瞑想の時間。単純化された作業の中に、生きるという実感が象徴的にうまく捉えられている/墨以外のものをもってくるともっと動きがあるから、少しにごっちゃう/みんないいことを言ったので、言わないように言っときますと(笑)、絵を描く人は生きていて絵を描くし、編み物をする人は生きていて編み物をする、上句に続く言葉が複数考えられ、これでは足りない感じがする。墨をすることが自分の生きている証しであるとするならば、何か近いものがほしい。これでは句として未整理。だからとらなかった/生きていて何でもするが、墨だから特別にこれはいいのだと思う。墨をするときの硯の音や、時と自分が対峙する感じ/この短いフレーズの中に今を生きる作者の、切羽詰まった様々な想いが入っていると想像できる、それは墨だから/私は生きていて何でもできるという感謝の気持ちを感じた/年賀状の時期、生きていないと宛名だって書けない、それを連想していただいた。
ひとりでふたり分の秋を歩く   南家歌也子
亡くなった方を思いながら歩いているのでしょうか、ふたり分が寂しい/約束をしていたのだと思う。切符も旅館も二人分とって/そこまで深くはないでしょ。二人分の切符を買ったなんていうより私はね、秋になると「これが紫式部の実なのよ」と教えてくれた、深大寺からの道を歩いたあの<RUBY CHAR=”女”,”ひと”>と、あの時の気持ちを思い出す/斎藤さんのロマンスだね(笑)/作者は大切な人を亡くし、その思いが句になったのではと思う。
柿の色がなければただの淋しい家   内藤邦生
田舎の廃屋みたいな、周りはモノトーンのなかで柿の実だけが黄色でポーンと。それがなければ何もないということが、うまく捉えられている/「ただの淋しい家」が主観的だから「無色の家」等にしたら現代的になるのでは?/「ただの」が、突っ放した感じがしてとらなかった。
それぞれのいろをもちおちば土にかえる      斎藤 実
土だけが漢字であとはひらがな、どういうことなのかなーと/「土」を強調したい? 落葉とは言っているが、人もそれぞれの色を持って土に還っていく、そのことが重なって感じられた/「それぞれのいろ」というフレーズが気に入った/人生という読み方はしなかった。そちらが正解かもしれないが、黄色や赤色の紅葉がすっと消えて土に還っていく、単純にただその自然の美しさの方をとった/私も賛成。最近、掃除させられるようになって(笑)、いろいろな落葉がだんだんくずれて土になる。その光景をあまり深刻にとらずに軽くとった/深刻にもネガティブにも考えていない。それぞれのいろ、が肯定的に感じるし、いろいろな生き方をしているというのは、否定的ではない/作者は…斎藤さんなの? 女の人のことが書いてないじゃない(笑)。
作者/昨年病気して、もう先が見えているなーと思いながら今年の落葉を見た。あんなにきれいだった落葉が2、3日も経つともう土に近い色になっている。みんな能書きを垂れていろいろ言っているが、結局はこれだよなーという思いがあって。

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▲自由に何でもいいあえるってすばらしい!

 
キリンの首の高さに秋が来ている   平岡久美子
木は高い方から色づく。季節はいきなり来ないということ。キリンでやられたと思った/ゾウでもラクダでもだめ、キリンの黄色がまさにぴったり、うまい/高さを表現するものは多々あれど、キリンをもってきたところが発見/この句はどなた…? 黙っていると思えば、さすが平岡さん!
手酌だ思い出は封印   萱沼良行
手酌で飲んでいるときは、いろんな思い出が浮かび上がってくる。ムードにひたっていい酒が飲めるときもあれば、なんで俺がこんなことを…という心の葛藤も起こりやすい。この句は、つまらないことは封印して、今日の酒を飲もう!という明るい気持ちがいい。本当は封印なんて言葉は使いたくないけど/同感、封印がなければねぇ/普通は嫌いなんだけど今の私の心がね…。そういう点で選句は難しい。自分の状況に即していやに同調したり、あとから見ると、何でこんな句をとったんだと思うときもある。
年末に整理されてゆく人生   内藤邦生
分かりすぎる感はあるが、大掃除をしながら断捨離したいという思いもあって共感できる/残したものがどうやって整理されるのかを考えると、早く自分で捨てたい。年末は、特に切実に思う/年末になると、喪中のハガキが届く。亡くなるとこうやって連絡され、整理されていくのかなーと/おもしろみがなくていただかなかった/今回の手術で、家に帰ってこられない可能性もあった。特に書簡類は見られたくないものが多く、かなり整理した。これが突然のことだったら、本当に困るだろうと思った。そういう意味で、年末の整理はできすぎ。
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そういえば毎日ありがとうと言われていた   南家歌也子
うちも老老介護。夫は言っているつもりかもしれないが、忙しくて感謝されているとは思えない。一段落したときに、そういえば感謝されていたな、と思うのかも。ちょっと「ありがとう」と言ってくれればいいのにね!/これは過去形のところがポイント。ふとしたきっかけで思い出したということ/毎日、気にもせず、当たり前のように受け取っていたが、亡くなってみて「そういえば言っていたなー」と思い出したのだろうね。いなくなってからわかる、わかってもらえる/ああ、やはり南家さんの句。
ひとにぎりの土に咲いている   平間昌水
そういうことなのだとは思うが、なかなかこういう視点と角度で捉えることがなかった/具体的には小さな花なのでしょうが、限られた範囲の中で懸命に自分の花を咲かせている人間に置き換えて、深い感銘を受けた/すみっこだが、小さい花を咲かせている、それを人とクロスさせて詠んでいる。
いちょうはらはら風のむかし   佐瀬広隆
意味がよくわからず説明できないが「風のむかし」など、どの言葉もみんなよくていただいた。あんまり考えるとくたびれちゃうのでね(笑)/この「風のむかし」は、風が昔話を語っている、そこにいちょうもはらはらと散って…。いいですね/わかるよ、どっぷりつかるとすごくいい句。「風のむかし」も確かにいいフレーズだが、「いいだろ?」と、にやにやしている作者がいそうで、ひっかからないぞと裏をよんだ(笑)/でも、さらっと調子のいい句で、お上手。
幸せ鍋にして冬のほほ笑み   小林真理子
「幸せ鍋」なんてどんな鍋だろう。いいですね/あるんですか?(笑)/「幸せ鍋はじめました」なんてあったらいいね。コンビニとか売りだしたらいいのに/冬といえば鍋。先ほどの手酌と相対して、何人かで囲むのが鍋。この句は冬が「私がきてよかったでしょ、みんなで鍋を囲んで幸せを感じられて」という句で、冬が喜んでいる。幸せにしてくれたのは冬、その先に鍋がある/さて、今晩は幸せ鍋にするか。
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▲カタルシス=精神の浄化 語った後の皆さまはよりスッキリと!

 
 
 
 
 
 
 
◎他高得点句
ひとり旅の夕日を見送る   風見洋子
この花の名もう一度だけ教えて   吉多紀彦
人生一方通行ゆっくり走る   そねだゆ
窓ガラスの拭き跡いとしくて   堀 美子
 
★一人が口火を切ると、そこに重ねる、膨らませる、転回する、疑問を呈する、異議を唱える、そして脱線もする。イメージとしては、四角い机の空間をエアホッケーのごとく、直球や緩球が自在に飛び交う感じ。積み上げてきた確かな人間関係があるから成せる業であり、自由律俳句に対する探究心と真摯な情熱がなければ成立し得ない関係性であろう。辞書によれば「自由」の反対は「束縛」かもしれないが、「自由」の反対は「責任」なのでは? と思えるような、自己を律し、他者を尊重した、安心できる居心地のいい会なのでした。
(木戸敦子)
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▲心臓の手術を終え復帰された吉多さんもビール片手に