舞俳句会 主宰 山西 雅子様 (神奈川県・横浜市)

 
舞俳句会 主宰 山西 雅子 様(神奈川県・横浜市)
 
8月6日(土)、かながわ労働プラザにおいて「舞俳句会」の本部句会・勉強会が開催されました。本日は会員外で26歳の黒岩徳将さんも飛び入り参加され、28人という大人数で4時間という長丁場、最初は勉強会からスタートです。
 

▲主宰 山西雅子さん 2010年「舞」を創刊
▲主宰 山西雅子さん
2010年「舞」を創刊

 
▲月刊「舞」最新刊は72号
▲月刊「舞」最新刊は72号

 
こちらの勉強会、現在は「芭蕉研究」というテーマで毎回各担当が芭蕉の足跡を調べ発表するもので、本日は全10回の2回目。初回から3回目までを担当される秋津寺彦さんは、芭蕉29~37歳の「江戸市中居住期」について約1時間にわたりご講義くださいました。
その後、句会にうつり本日は55句のなかから2句選、うち1句を特選に選びます。各人が選んだ特選について感想を述べ、作者の弁があり、山西先生より講評をいただきます。
 
▲20ページものレジメを準備された秋津寺彦さん
▲20ページものレジメを準備された秋津寺彦さん

 
ねむたさを乾く真昼の百日草        美楯
山西…ねむたさを、までは自分自身のことで、百日草は自分が見ている対象。自分の気持ちが少しずつ対象に流れ出し百日草もねむたくなる感じ。ポエティカルにつないであるおもしろい作り。
水滴に狼狽へてまた蟻となり        さおり
・水滴に入った蟻が、ちょっと蟻じゃなくなって、でもまた蟻になって出ていく。時間の経過を瞬間的に表そうという新しい表現に思えた。
山西…本来の姿に戻るところを「また蟻となり」と飛躍させ、三段階を上手に見せている。
青芒風に生死の区別あり               和男
山西…「風死す」という季語もあり、風には生死の区別があるとした着眼点がおもしろい。「風に生死の区別あり」を「風に生と死」くらいに減らして、もう少し季語の青芒のことを言えば、具体物に重心が移り、その中に抽象が入ってもっといい句になる。
笛吹きの息まつすぐに凌霄花        なほ固
山西…保留にした句。凌霄花は少し広がっているので、アルトホルンに近い感じ。笛と凌霄花のイメージが私には重ならなかった。
雨脚をはつきり見せて夕立くる     釣児
・雨を複数の斜線で描写する浮世絵を想像した。
作者…これはイースター島でのこと(笑)。
山西…見せての「て」が気になった。「見せ」も「夕立くる」も動詞。「はっきり見せて」の7音を「はっきりと」「見せ」と、5音と2音に分けて重たさを出した方がいい。
脚見せて幕引く黒子夏芝居            ちえ子
・脚を見せる黒子、田舎芝居といった滑稽さが伝わってくる。
山西…夏芝居という感じがくみ取れる。これはたくさん見えてる感じ(笑)。
◎主宰特選
ざりがにを捕る子にばら色のかかと              恵
・橋本多佳子の作品に「薔薇色の雲の峰より郵便夫」という句があるが、いずれの句も幸福感が色の比喩で表現されている。
山西…最後がかかとで終わっていることによって、この子の姿勢がはっきりと見える。薔薇色効果はおっしゃる通りで、幸せなひとときがよく出ている。蜊蛄や薔薇、踵と画数の多い表記は避け、丁寧に作られている句。
アトラスの疲れを癒す夕立かな     健二
作者…アトラスはギリシャ神話の巨人で、大地の西の端で天を支えて立っている。夕方には夕立が心地いいのではと。
山西…「夕立かな」を「夕立とも」とすることで、夕立とも思う、ともう少し実の方に引っぱることができる。
あめんぼう水面の雲を横切れり       澄子
山西…あめんぼうは事実、水面に映った雲はかなたの天のもので映像。不思議な空間が描かれた完成度の高い句。ただ、こういう世界は結構詠まれているので、よほど工夫をしないと成功するのは難しい。
波型のトタンを透ける大暑かな     良一
山西…読む人によって、採るか採らないかがわかれる句。最も暑い大暑が波型のトタンを透ける、とひとひねりしてあるが、その仕掛けに乗れなかった。
雨あがりでで虫葉上一文字            ツネ
山西…姿が一文字なのか、這っていった跡が一文字なのか、もう少し読む人にわかるようにできるといい。「雨あがりでで虫は身を一文字」にすると、葉は消えるがだいたいのことはわかる。ユニークで素敵な句。
片蔭を少しもらひて犬歩く              芳香
山西…主人と犬との位置がよく描けた描写力のある句。
沈黙の一瞬ありて夕立かな            知子
山西…夕立のくる前の独特な感じがうまく描写されている。
銅鐸の音聴いてゐる夏休               寺彦
・銅鐸の音を聞いたことはないが、聞いてみたいと思わせる句でポエジーがある。
山西…自分が小学生のときの遠い時間に思いを馳せる、こういう作り方もある。自然にできている句。
ながながと車の下に避暑の猫        正一
・どうってことない句だが、写実的な句。
山西…避暑は暑い盛りに軽井沢のような気持ちのいい所に行くこと。この句の場合、季語として避暑を使うのは厳しいかも。内容は異なるが「ながながと避暑の車の下に猫」として、避暑に出かけた車の下の猫を詠むこともできる。
ポケモンGO捜す男の蟻地獄        秀彦
山西…蟻地獄がこの句の中でどれだけの実態があるのか。季語が比喩になっているのが少し気になる。
さざ波のごとくに八重の木槿かな    みの
山西…一片の花びらがさざ波のようというならわかる気がするが、全体をさざ波のごとくに、という点がピンとこなかった。
 
▲本日の名司会者 吉澤美楯さん
▲本日の名司会者 吉澤美楯さん

 
◎主宰特選
解体ビルに鉄筋のひげ夏の雲        恵
・ぐにゃりと曲がった鉄筋をひげに例え、壊されていく哀れを感じた。
山西…採らなかった方は「解体ビル」という言葉はどうなんだろうと思ったかもしれない。上五が重くなっているが、この句の内容からすればあまり気にならない。はっきりと映像が浮かぶ。
―その後、特選には採られなかったが、選に入った句、入らなかった句、一点一点すべての句に当たる。
墓友と写経に通ふ蝉しぐれ         弘行
山西…同じところに墓を買って生前から交際する「墓友」という言葉は、最近よく聞くようになった。俳句に新しい風俗を取り入れることは悪いことではなく、現代の一つの姿を現しているので、どんどん作っていいと思う。ただ、この場合まだ「墓友」の認知度は高くないので、題材を墓友に絞り「墓友といふ友のあり蝉しぐれ」ともできる。
まばたきの間に消えし夏の亀      宏子
山西…よくわかるが、夏の亀が気になった。春夏秋冬はいろいろなものについて季語が作りやすそうに見えるが、活かすのは案外難しい。何にでもつくわけではない。「まばたきの間に亀消えし~」として、下五はしっかりした夏の季語をもってきた方がいい。
夏の夜や枕の鼓動聞きてをり  正一
山西…「枕の鼓動」はおもしろい。せっかくここまでいったのなら「聞きてをり」は止めて、夏の夜の枕の鼓動がどうであるかを詠み進めるといい。きっと春の夜や凍つる夜とは違う、夏の夜ならではの感じがあると思うので、ここがおもしろい句になる攻めどころ。
かの夏のうたた寝さめてラジオかな              三郎
山西…玉音放送のこと? それであればさめてだと軽い、さめしに。
降りしきる雨のかたちや冷やつこ    道石
山西…「かたち」という言葉は抽象的になるから難しい。よく使われるがあまり使わない方がいいと思うのは「風のかたち」という言葉。わんさか出てくる。
小さき尾の立つは蕾や葛の蔓      雅子
山西…これは私の句。地味に写生をして作るのが好き。葛の蔓を見て、蕾の尾っぽのようなものを表現したくていまだ取りつかれている。今も「小さき尾」よりも「短き尾」の方がいいかもと思っていた。
生ふる草その勢ひや夏旺ん            ちひろ
山西…最初に生ふる草というものを示し、畳みかけるように言葉を繋ぐ勢いが良い。
受注なる薄氷の思ひ汗ポトリ           さおり
山西…薄氷の思ひは、薄氷を踏む思ひ、だと思う。ポトリはひらがながいい。仕事の句は素材としてもあまりないので、どんどんいろんな場面を詠んでみてください。
後シテと灯蛾の乱舞夜の能            文子
山西…こくのある情景だが、「夜の」を削りたい。「灯蛾」は夜が前提なので。
軸足は微動だにせず青田風         寺彦
・孤高の白鷺の姿を想像した/私は青鷺(笑)/稲のことだと思った。茎の下の方に着目したところがいい。
山西…稲の根元はわかるが、足っていうのが…。
作者…そうなんですよ。それを茎元と言っては陳腐だし、冒険して軸足と言えば先生が飛びついてくれるかなー、と思ったのですか駄目でしたか(笑)。
夏草や遺跡潜めし二千年               雅龍
山西…遺跡を遺構にすると物質感がでる。
排泄も食事もきらひ水遊び              徳将
山西…私だったら「おしっこもお昼もきらひ水遊び」にするかな。若い方だから言葉の好き好きはあるし、語感の問題だと思うが。
作者…排泄にするかおしっこにするかは悩んだ(笑)。
突堤で鯵釣る昼や雲の峰    とんぼ
山西…季重なりの句。焦点が絞りやすいので季語は1つが望ましいが、まずは絶対2つ必要なのかを考えてみる。「雲の峰」は雲を峰に見立てているので、「雲そそり立つ」と開いて、全体を組み替えた方がいい場合がある。
 
▲終始和やかで気持ちのいい会でした
▲終始和やかで気持ちのいい会でした

 
★主宰の山西さんの声は明るく澄み、歌うように軽やかに響くその声がリードするのか、開始早々、会の雰囲気がワントーン上がる。大人数にもかかわらず、一人一人が偏ることなく発言し、一つ一つの句を決して無駄にせず掬い上げ、必ず活かそうとする。そのこだわりと、粘りは執念を感じるほど。つまりそれは、一人一人、一つ一つの俳句を存分に尊重しようとする証。俳句の基本を相互に学びあい、実作ではすべての句に光を当てようと頭をフル回転させ、でもそのヒントを決して押しつけず差し出すようにくださる。皆さんが私にも大変にご配慮くださり、思いやりにあふれた「舞」俳句会でした。(木戸敦子)