もも句会 代表 黒岩徳将様(岡山県・岡山市)
去る3月19日、3カ月に1度の頻度で開催されている「もも句会」の春の句会にお邪魔しました。
この句会を牽引しているのは26歳の会社員、京都府出身の黒岩徳将さん。※俳句甲子園に出場したが、悔いを残しつつ敗退。その後どう俳句を続けていけばいいのか暗中模索の状態が続いたという。自分と同じような迷子を作りたくないと発奮し、俳句甲子園出場者を中心に声をかけ、勤務地である岡山で高校生、大学生、大人の混じるこの「もも句会」を立ち上げ3年が経つ。
※俳句甲子園…愛媛県松山市で毎年8月に開催される高校生を対象にした俳句コンクール「全国高校俳句選手権大会」。
午前中は「後楽園」で吟行、13時から17時までは句会、その後の懇親会でも※袋回しがあるという俳句漬けの一日。遠くは東京や九州からの参加者がいるというから熱意の程がうかがわれる。吟行の最中も梅以上に会話に花が咲き実に楽しそう。
※袋回し…席題の一つで袋に書かれた季題で俳句を作り順に回していく遊び。
欠席投句も含めた163句のなかから20分程で7句を選び(特選1句並選6句)、選評を述べる。
本日の高得点から
啓蟄や救急箱の底にほふ 森
「救急箱の底にほふ」と「啓蟄」の取り合わせがおもしろい/救急箱は、どこか懐かしい独特のにおいがある/「底におふ」だと薬を探していたのだと思う。
春月と同じかたちに猫の死す 宇佐美
三日月に近い春月が猫の形と同じという気づき/死んだばかりだと感じた/死を軽く詠んでいる感じがしないのは詩情が生きているからか/中七と下五が「同じ形の死体かな」ではだめ?猫や犬である必然性はない。「猫」だとかわいくなっていてリアルさがない/温度が伝わってくるところが既にリアル/実際丸くなっては死なない/死後硬直する前に飼い主が丸く眠っているようにさせたのかな?
作者…坂道で猫が丸くなって死んでいた実景。
雪解けや犬の目玉の輝きぬ 瀬崎
犬の目玉に映った輝きを詠んでいるのがいい/雪が解け思いっきり走れる季節が来たぞという野生の本能、生き物の喜び/自然の美しさや輝きだけではなく、生きている気持ち悪さみたいなものを詠んでいる気がした。美しさを詠むのであれば目玉ではなく瞳とかきれいな言葉を選んだはず/採らなかったのは景だけ見たら平凡だから/平凡さを脱却するなら「輝きぬ」を何とかした方がいい/「ぬ」だと光を閉じ込めた感じがする。「輝いて」とした方が光が放たれた感じになる。
くびすぢの脈を探しぬ花菜雨 竹村
首筋の脈が単体で詠まれるより「花菜雨」で茎が連想される/なぜそういうことをしているかはわからないが、鼓動を感じているところも読者に想像させる。
春光や口を開け続ける苦痛 川上
たぶん歯医者でのこと。春のひかりのなか睡魔に耐えつつ口を開ける苦痛/口を閉じられないときの苦痛をさらりとよく詠んだ/歯医者と断定できるとは思うが、断定したらおもしろくない。
ふらここの鉄くさき手をつなぎ合ふ 森
ふらここの句はたくさんあるが、鉄くさいというマイナスなイメージの中で「つなぎ合ふ」つながりが、現在の若者の生きにくさの関係性として新鮮に詠まれていると感じた/公園に集まった子どもたちが、鉄くさいけど、楽しかったから手をつないで帰ろう!というほっこりした感じに読んだ/「つなぎ合ふ」まで言わなくても「つなぎけり」でいいんじゃない?/けりでも通じるが「つなぎ合ふ」、とすることによって、ぎゅっと一つになるくらいな感じがでる/くどすぎない?/「つなぎ合ふ」の方が求め合う切なさがでる/「つなぎ合ふ」だと、どちらもブランコからトンと降りて手をつないだ感じがする。
排水管ごぼと朧に穴があく 水口
朧がいい。感覚がすごい/ぼんやりした風景のなかで、見えない排水管の中を何かが通ったという気味の悪さ。
春よ春薬草瓶はふかみどり 畑
「春よ春」とすることで「ふかみどり」がより実感を持つ。効きそう!
おほかたのことは叶ひぬ鳥の恋 小西
「おほかた」と言われると、叶わぬことはなんだったんだろう、と思う。求愛、繁殖、自分の恋もどうだったのか等、読みが深まる。
刃に熱のあるかの如く春菊刈る 栗田
祖父と山にある春菊を切ることがあるが、熱があるようにサクッと切れる/刃に熱があるとよく切れるのか、比喩がわからなかった/如くだから実際熱はない。刃が熱を帯び燃やすように勢いがあるということ?/春菊がいきているのかがわからなかった/春菊が可愛すぎるのかな。そんなに勢いがあるならもっとデカいものを切ればいい/でも近いよりはいい。これでバラを切るだったらやりすぎ。
遠足の子を追い越さぬように行く 都
追い越したいが、しのびないから速度をゆるめたりと遠慮がち/海の道とか、場面設定をもってきた方が広がりがでる。
慰霊碑の裏に転がる紙風船 大元
子どもがこっそり置いた紙風船が、風に飛ばされて今は裏側にある。
センブリ茶を飲みし薬学部の四月 大原
薬学部が効いている。いろんなものが育っている季節にセンブリ茶を飲んで、人間も始まるという滑稽だけど実感としてわかる/薬学を深めた感じではなく、まずはセンブリ茶を飲んで最初の講義で「これが薬になるんだよ」と聞いた新入生の感じが出ている。
珈琲の豆を棄てれば春の風 安藤
バイト先で炒った豆を捨てる時、珈琲の濃いにおいが春の風に乗って香った/部屋の中で春の風が吹く?/でも外にわざわざ捨てに行く?/豆じゃなくて粉じゃない?/捨てるじゃなくて棄てるだから、アウトドアっぽい。
作者…実家で猫除けのため庭に捨てていた(笑)。
卒業と都会のバスは簡単に来る 竹村
取り合わせに意表をつかれた。「来る」まで入れるのはどうかと思ったが、どんどんくる感じもありこれでいいのかも/音について考えることがある。「簡単に来る」も俳句らしく読めば五音で読むこともできる。チュッパチャップスも同じく五音で読める。つまり俳句らしく読んであげることも読み手として大事なんじゃないかと/字数ではなくて音で数えるということ?/五音ではなく五拍。その辺はかなり冒険だと思うけど。
卒業を実感するときって卒業の日の登校の朝/私は卒業するとき全く実感がなかった。その後バスの中から花をつけている子たちを見て、卒業したんだと初めて実感がわいたので、都会で働いている人なのかなと/卒業する人とそれを見る人、その読みなら採りたい。
「卒業す」じゃだめなの?/卒業と都会のバスを並列で入れたかったんだと思う/こういう書き出しの小説いいですね(笑)/これだけいろんな読みがでるのはどうなの?/句として限定されていないという意見と、広がりがあっていいという解釈があるのでは。でもこんなに意見が出てこの句は幸せ(笑)。
卒業の日の不燃ごみ回収車 川上
燃える燃えない、いろんなゴミが出る。心の中も整理しなければいけない/「不燃」と限定する効果はあるの?/日常のリアリティは出る/「燃やせないもの」として、心残りがあるのでは?
箸楽し最後に蛤を食へば 鈴木
去年の俳句甲子園で「町たのし浴衣の子らに道問へば」という句があったが、作りとしてはそれと同じ。蜆でも浅蜊でもなく蛤ならわかる。箸が楽しんでいる、箸を使っている自分が楽しんでいるという2つの楽しさ。
作者…蛤はつかむときの感覚やつぶれるような感じが、箸を通じて伝わってくる。
どの音も春夕焼のさなかなり 竹中(け)
オカリナの半音下がる余寒かな 田中
こだはりの日だまりの中恋の猫 織田
春雷や歯ブラシと水やわらかく 坂口
朧夜やオマール海老を解体す 柴田
春霖を少しく混ぜる絵具かな 鈴木
襟首の産毛も白し春の風 阿部
春眠をふさぐ分厚き男かな 水口
うららかや服にかたちのある並び 竹中(ゆ)
友だちはひひなと空気清浄機 水口
海軍に音痴はおらぬ春一日 宇佐美
朝寝して触れたる豚の貯金箱 黒岩
麗らかやツアーTシャツ着る患者 大原
つちふるや一元札の柔らかし 宇佐美
夜桜に消えたる滑り台のうへ 森
たらの芽の※サムズアップのごと光る 岡嶋
※親指を立てるジェスチャー
春風の物干し竿をすべりゆく 大元
米一つ拾い五つを落とす春 安藤
⻌の這い出してゆく春の霜 畑
★多くを語るより一句でも多くこの感性豊かな俳句を掲載したいと思った。大学生を中心に最年少は高校一年生という本句会。暖かくも厳しく導く大人のまなざしの中、個性はそのままに育まれている。自論、推論、疑問、承認、反対、提案…と議論が止むことはなく、個々人の俳句に対する真摯な姿勢と言葉と仲間に対する敬意、そして熱量に驚いた。これを読まれた方の心にも、何かがきっと触れたはず。それはあなたの中に依然として変わらないものがあるから―。春は誰にでも何度でも巡ってきます。