新発田(しばた)かりん会
創設 島津エミ様
代表 泉 弘子様
(新潟県・新発田市)
新潟県の越後平野の北部に位置する新発田市。4月1日(土)、
新発田駅前の複合施設「イクネスしばた」で行われた
「かりん」(主宰 馬場あき子)の支部 新発田かりん会の歌会にお邪魔しました。
最初に本日の司会進行長谷川さんより
「心のエネルギーこそ短歌の源泉、今年度も切磋琢磨して詠んでいきたい」
とご挨拶。事前に配布した詠草(短歌を詠んで紙に書いたもの)を手に、
各々が一首ずつ感想、意見などをつまびらかに述べていきます。
小田実の『玉砕』を読む 七十年生きて瓦全の我をかなしめ 長谷川
- 調べたところ、玉砕と瓦全は反対語なんですね。「玉砕瓦全」で名誉を守るために未練なく死ぬことと、何もすることなく徒に長く生きることという意味があるらしい。本を読んだ感動をどう読者に伝えるか、これは大変難しい主題であえてそこに挑戦した意欲には感嘆する。ただ、それがこの本についての歌として共感するかどうかはまた別。共感はするが、テーマが大きく概括的。例えば登場人物の名前を出すとか、自分にひきつけた身近なものにした方がいい。どうしたら「そうだよなー」と、しみじみ感動することができるのか。難しいけれど、全員の課題ではないか。●3、4年生の頃、玉砕の島で父を亡くした友だちがいた。子ども心にどう言葉をかけていいかわからなかったことを思い出した。「瓦全」という言葉は初めて目にした。●玉砕は何の意味もなかった、つまり戦争がいかに無駄だったかというのが、小田実のテーマ。そうすると、上の句と下の句が結びつかない。●「かなしめ」は命令形。ここまで真面目というか、大きく考える必要はないのではないか。
さやかなる列車の音のとどく夜だれか発つらむ遠き銀河へ 泉
- 音だけの世界の歌、結句の「遠き銀河へ」で夢のような一首になった。●幻想的ないい歌。静かで風もなく響いてくる列車の音、こういう夜にどなたかが亡くなったという鎮魂の歌だと思った。●「さやかなる」がキーワード。さやかだから、いいことにつながる音かなと。ファンタジックな歌で、銀河鉄道をイメージした。下句で誰かが美しい旅に出かけるんだろうなーという、美しい余韻を残した。●さやかなるは、さわやかではなく「冴える、明らかな、はっきりした」という意味。幻想的な「遠き銀河へ」という下の句は、澄み切った気持ちで旅行をするでもいいし、誰かを悼むでもいいし、いろんな意味にとっていいと思った。
長病みの妻の歩みに合わせつつ花店廻る彼岸間近を 大沼
- 長病みの妻と思いやりのあるご主人。「ま」の音が多くて心地よく読める。●自然体で穏やかな境地をさらりと詠んでいる。言葉の一つ一つがよく考えて配置された、気持ちのいい歌。●花店廻るより、花屋を回るの方がしっくりくるような気がする。ルビを「はなや」とする方法も。●彼岸になれば花も要るし、わかりやすく具体的で季節に合ったいい歌。
そこはかとたゆたい初めぬ暖かさこころ弾みて種買いに行く 島津
- 何となくそこはかと漂ってくる暖かさ、心うきうきの春先の陽気が見えるよう。●「そこはか」と「たゆたい」と「あたたかさ」がまさしくその通り。
- 「そこはか」と「たゆたい」はどちらも曖昧な言葉。この曖昧さは、雪国の人じゃないと肌に感じないというか、作者もこの言葉を使わないと感じが出ないということで工夫したのだろう。ただ、「こころ弾みて」まで言うとダメ押しになる。それ以外の言葉を使ってほしかった。●「初めぬ」は終止形、「暖かさ」につながるなら「初めぬる」または「初める」としないと。そこはかとたゆたっていること自体、初めぬまで言わなくていい。●具体的なものがない。雪国であれば、そこに強い気持ちが入ってもいい。
終活の覚悟きめたりピラカンサ雪の重みで倒れ伏すなり 下村
- 倒れ伏しているピラカンサを見て、自分のこれからを思い、本気で終活しなきゃと思ったのか。●「就活」や「婚活」という言葉はどこまで許せるのか見極めに悩む。ファミリーコンピュータがファミコン、スマートフォンがスマホと呼ばれるように、使用頻度が高いとどんどん日本語化されてその省略語が常識になる。●それは大事な問題。みんな日本人だからわかるが、これが他の国で使われたらわからない。大勢が使用する言葉だから歌としていいかどうかは違う問題。安易に使わないで、使うときは覚悟して使用しないと。●辞書に「就活」はあるが「終活」はない。「老々介護」も辞書にはない。いい問題提起。●「決めたり」で切れて、ピラカンサの赤が出て次は雪の白、それが倒れた。すごくドラマチックで色彩も豊か。「終活」を除けばおもしろい歌。●「なり」と「たり」の完了。きっぱりと決めましたという宣言。あえて強い言葉を使って覚悟のほどがわかるが、難しい言葉を使っていると感じた。つながりがわかるようだが、歌として成功するかどうか。●ピラカンサの終活かと感じた。●自分の老いとピラカンサのダブルイメージを具体的な嘱目で表現した。
夜もすがらボールの中でプチ呼吸アサリたちは朝の出番待ちおり 湯浅
- プチ呼吸で、アサリのイメージも浮かんでくる。ただ「朝の出番待ちおり」で、果たしてアサリたちは待っているのだろうかと、多少ぎょっとするものがあった。●「夜もすがら」は、言葉として重い気もするが、アサリたちにすれば自分たちの運命もかかっていることなのでこれでいいとも思う。●この詠草をいただいてからアサリを買ってきたが、閉ったままでプチ呼吸は見られなかった(笑)。プチと夜もすがらで不釣り合いなおかしさもあり、その点では成功している。●字余りにした意味があるのかどうか、定型を大事にしてリズムに乗るよう努力したいところ。●歌は余韻を楽しむという部分があるが、悪くいえば後味の悪い歌。できるだけ気持ちのいい歌を作りたい。
桜貝のやうな花びら並べてみるいちご太らせかそかにほへり 佐藤
- いちごの実と花に向き合い愛おしんでいる作者。具体的な観察がこの歌を豊かにしている。●上の句と下の句で主語がかわっている。上が自分で下が花びら。素敵な歌だが、よく推敲して整理しないとわかりにくい。いちごを太らせてにおっているのは花びらだから、例えば「並べ見る桜貝のような花びらはいちご太らせかそかにほへり」とか、花びらとにほへりを近くに置きたい。●花びらがいちごを太らせているという解釈?花びらはいちごを太らせないでしょ。太らせるとき既に花びらはないわけだし。子房が太るから実になる。詩的に聞こえるけど生物学的にはそうでない。
案ずるは非常識かと思い来しを現実となる鰙釣り事故 田辺
- 報道であった事故のこと。ニュース性のあるものを歌に詠みスピーディーだが「非常識」以外の言葉はなかったのか。●時事詠の場合、( )として詞書※があればわかりやすい。事故と自分の関係性がどこかにないと、差し迫った歌とはならない。悪くすれば新聞の標語みたいになる。●あえてニュースを取り上げたのなら、事故と自分との距離をいかに縮めて詠うか、取り出して詠うかが、勉強であり課題。●もし氷が割れたら…と誰もが想像することなので、非常識というより不見識。
※和歌や俳句の前書きとして、その作品の動機・主題・成立事情などを記したもの
ピポーピポーがわが家の近くで鳴り止みぬ止みたるままに静もれる真夜 小熊
- 情景はよくわかる。ピポーピポーはこれでいいのか。●ピポーピポーは「 」で囲めばいいのでは。ピポーではなくピーポー。ピーポーもスマホと同じで日本であればわかるが、他では通じない。救急車は、無駄だと判断された場合は静かに帰っていくとか。それが真夜であれば出ることも躊躇されるし、助かったのだろうかという不安な気持ちが下の句から伝わってくる。●「止みたるままに静もれる真夜」は確かにそうだが、作者の心に迫るものであったのか、静まったなーという程度の気持ちだったのか、あるいは胸がどきどきして動悸がするほどだったのか、つきつめて考えるとここが動く気がした。●音と夜の歌だが、二番目の「遠き銀河へ」の歌とは対照的。
ユキノシタ雪につぶれてぺしやんこで春のはじめの光合成だ 原
- 口語を使ったリズムのいいおもしろい歌。●光合成だ、で非常に活発で明るい元気ないい歌だと感じたが、ぺしやんこで、とその下とのつながりに疑問が残った。●ぺしゃんこのままに、という意味に捉えたらぺしゃんこ「に」だと思うが、これからスタートするよ、というユキノシタの強さを思うと、ぺしゃんこ「で」しかなかったのだと思う。最後の口語体がこの歌ではうまく効いている。
★同じような感想を述べると、代表の泉さんから「違う意見を言ってください」とすかさず教育的指導が入る。「皆さん、結構遠慮なく言いたいことを言うのだなぁ」という感想を持っていただけに、かりん主宰の馬場さんが常々仰っているという「個性を出し、人と違うところを詠む」という、その教えが浸透していることがわかる。「自分では気づかないところを教えてもらうからありがたい」と会の方も仰っていたが、率直に胸襟を開いた分だけ学びも深まる、ということをこの歌会から教えていただいた。(木戸敦子)