佐山組
指導 川崎陽子様(新潟県・新潟市)
去る一一月一九日(日)、語呂合わせでは「いい一句の日」に、現役の歯科医川崎陽子さんが俳句の指導にあたられている「佐山組」にお邪魔しました。
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先生のご自宅の居間を会場に行われるこの「佐山組」は、もっと俳句が上達したい!とこの会の設立を呼びかけた発起人の佐山さんの名を冠したもの。一般的な句会の進め方とは違い、各人が用意した俳句五句を先生が一句ずつ吟味し添削してくださいます。「組長」こと、温和なニコニコ顔の佐山さんの挨拶に続き、愛犬ラブちゃんも同席して句会スタートです。
水鉢の底に透けゆく散紅葉 悦子
川崎…「透けゆく」ということは、水鉢の中の水がきれいだったということ? 溶けていくように色がなくなっていく感じを詠みたかったわけね? これでもいいんだけど、散紅葉を最初にもってきた方がきれいな色がパッと目に入り、読者にも景がよく見える。紅葉を見せて、散って水鉢の底についたら、棲みついちゃったみたいな感じにもできるわね。
散紅葉水鉢の底に棲みつけり
石蕗の花四五十本の姦しき 悦子
川崎…数としてどうかしら。四、五十本と姦しいが結びつかなかった。
作者…正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」の句を思い出し、じゃあ四、五十本にしようと(笑)。
川崎…姦しき、で結論を言っちゃってる。俳句は削って削って骨にして、読者が骨になったものに血管を通したり肉付けをしたりして、想像できる余地を残さなきゃ。結論を言ったら全くおもしろくない。何本とは言わずに、一面として、さらに感覚を飛ばしたら「絨毯」なんて思い出さない? そして黄色は当たり前だから、金色にしてみようか。
金色の絨毯のごと石蕗の花
そして、絨毯といえば「アラジンの魔法のランプ」。もっとイメージを飛ばして
アラジンの絨毯のごと石蕗の花
とかね。二千句くらいの選句をする時は、人が思いつかないようなドキッとする語句を最初にもってくる方法もある。そうすると選者は立ち止まる(笑)。
一人居を秘かに誇る銀木犀 周子
川崎…秘かに誇るは何をいいたいの? 一人で一所懸命頑張っている自分を誉めているのね。それだと独りよがりになるから、亡くなったご主人へのメッセージにしたら?
作者…もういいころ加減忘れちゃった(笑)。
川崎…あらそう? 私は五年経つけど遺影に話すわ。「亡き夫に秘かに誇る銀木犀」ではどう?
作者…「亡き夫」を言いたくないんです。
川崎…じゃあ若い恋人にする(笑)? 言いたくないことは書かない方がいい。じゃあ銀木犀だけを詠んで、去年と比較してみたら?「秘かに誇る」は少し理屈っぽい。さらっと詠んだ方が読者は深く読んでくれる。自分と合わせようと思うから難しくなる。二つのものを詠みたいけどうまくいかないときは、原点に戻って簡単に考えると全く違った句になることもある。
去年より今年のにほふ銀木犀
狛犬の爪尖りたる寒さかな 武子
川崎…おもしろい句。これは白山神社? 爪に目を付けたところがいい。
作者…片方は爪を隠しているしもう片方は爪を出していた。いろんな狛犬がいたが、指が三本だった。詠みたいと思ったのでよく見てきた。
川崎…そしたらその三本を入れようよ。
狛犬の爪三本の寒さかな
とすると、爪そのものが寒さを感じていた、しかも五本じゃなくて三本だからなお寒さを感じる、と受け取ることができ、おもしろみもでる。よく見てきたからこういう句ができる。
父母のセピアの写真冬ぬくし 武子
川崎…類想類句があるし「冬ぬくし」ともつきすぎ。遺品整理をする方に聞いた話では、整理の際に一番困るのが写真で、その中でも始末されるのは、小さいしどこに写っているかわからない集合写真なんだとか。
セピア色の集合写真雪催ひ
好きな花紫式部と※柿の素 治代
※柿の素…新潟県を中心に食されるうす紫色の食用菊。
川崎…「好きな花紫式部」まではわかるが、柿の素は食べるもの。
作者…柿の素は見てもきれいで食べてもおいしい!
川崎…八百屋さんの宣伝じゃないの(笑)。季語の並列はいい場合もあるが柿の素がちょっとね。紫式部を見て何が見える? 実? 色? 色であれば、紫じゃない色の花をもってきて並列にする方法もある。花はいらない。
好きなのは紫式部と竜の玉
とすれば三段切れも解消される。紫は高貴な色だから、下五を竜の玉として紫を重ねても作れる。高貴な治代さんにぴったり(笑)!
柿紅葉空や絵の具に溶け込めり 節子
川崎…絵を描いているってこと?
作者…度外視しては描けないくらいきれいな空の色だったということを、うまく詠めなかった。
川崎…柿紅葉と空とよくばりすぎだから、どちらかにしましょう。ここでは描いている人がいるわけで、その人が大人だとつまらないから「少年」にして、季語の柿紅葉を生かすなら、
少年の絵に溶けてゆく柿紅葉
こうすると、絵の中に柿紅葉の色が溶け込んでいったという感じがでる。
作者…素敵!
川崎…ちょっとおとぎ話みたいな感じにもなるが、こういう句もいいんじゃない。
桐の葉をゆらす風くるちぎれ雲 弘子
川崎…これも一句の中に風と雲とよくばっている。でも「ゆらす」を詠みたいわけだから風を消すわけにはいかない。桐の葉を揺らすほどの風がきた、だけでいいのでは。ちぎれ雲はいらない。
桐の葉をゆらすほどなる風のきて
川崎…これでたいした風じゃないということ、でも桐の葉は結構大きいので、それなりの風だということがわかる。あれもこれも押し込もうとしないようにね。
到来の酢橘のしぶき何にでも 智子
川崎…しぶきは酢橘を絞ったときのもの? 「何にでも」が説明っぽい。これも酢橘のしぶきだけを詠んだ方がいいし、到来も必要性がない。「しぶき」だと相当な量の感じがする。であれば、もっと大げさにしたら? 量もあって遠くへも飛んでいくということをオーバーにして
天空へ酢橘のしぶき飛びにけり
川崎…どうせだったら、ええーっ!? というくらいまで詠む。でもこれは私の感覚だからね(笑)。
秋高し恵比寿大黒テーブルに 勲
川崎…これは置物?
メンバー…私、お酒を置いたのかと思った。
作者…はい、置物です。お恥ずかしい話なのですが、今ちょうど競馬のシーズンでテーブルに当たり馬券と一緒に置いたんです(笑)。
川崎…そうは受け取れないからね。恵比寿大黒っていうと、どうしても作りものっていう感じがするからこれは止めて「当たりくじ」でどう? 競馬は入れずに
秋高しテーブルに置く当たりくじ
で、いいんじゃない。喜びはわかるけど、恵比寿大黒は喜びすぎ。秋高しでうれしいことがあったに違いないとわかるから。一回読んですぐ意味がわかることが大事。何回も読まないとわからない句は、どんなにいい句でもあとまで残らないと言われている。素直に詠めれば一番いい。
その後は茶話会となるが、先生は初心者に説明する際に作った手作りの教材を出して「例えばバスに乗っていたとしてね、そこから見える物、こと、状態、または過去や未来に飛んで連想したり、思いっきり空想をしたり!!」と、楽しそうに説明してくださる。
海近きバス停に立つ夏帽子
これで夏休みの子どもの景が見えてくるし、もっと飛躍すれば
入道雲行きの大きなバスに乗る
十七文字で無限の広がりを出せるのが、俳句のおもしろいところね。
のほほんと天に尻向け花梨の実 悦子
雨上がり古庭に揺るる山紅葉 周子
制服の背ナ爽やかにタクトかな 武子
冬山の最後の一滴フルーツティー 治代
甲冑も痩せてゆくなり菊人形 節子
日の落ちて赤く染まりし大刈田 弘子
鍋底に青きガスの火時雨来る 智子
新米を噛んで活力もらひけり 勲
川崎陽子
肌寒や水を離るる風の音
真ん中の窪む朱肉や秋暑し
色変へぬ松良寛に恋ひとつ
生き上手は死に上手なり秋扇
満月や象の乳歯の生え変はる
★「で、結局何がいいたいの、この句で?」と作者と相対しながら、言いたいことをくみ取り、でもそれを言いすぎないように省略したり、飛躍させたりしながら、見違える句に収れんさせていく。そのしばしの沈黙と、考えている先生の様子はあたかも「巫女」のよう。そんな、句が生まれ変わる現場に立ち会えることをうれしく思うほど。皆さんも「本当に素敵な句になった」「けちょんけちょんな気分になる時もあるけど、先生に元気をもらえるからこの会が本当に楽しい」と口々に仰る。外は時雨模様の天気ながら、ホッとするホットなまだ二年目の「佐山組」でした。 (木戸敦子)