桜田句会(東京都・港区)
街中には半袖姿の人も見かけるほど暖かくなった3月1日(木)、新橋駅近くの桜田会館で行われた「第一五八回桜田句会」にお邪魔しました。
この会は、指導する主宰や代表を置かない超結社の会。人数は多くないものの、各人が他の会を指導していたり、各結社の同人であったりというハイレベルな句会。本日は、当季雑詠5句と席題(詠み込む季語や言葉がその場で告げられる)は「流」「乗」の合計7句出句の6句選。点数の高い順に、その句を選んだ方が講評していきます。
跡を継ぐものなき畑や雉子鳴く 恵一
〇跡を継ぐもののない畑はあちこちにあると思うが「雉子鳴く」という季語で、段々畑があるような里山の景を思い浮かべた。雉子の鳴き声は、古くから万葉集でも詠われているが、春の兆しを感じさせるケーンケーンという金属的な声。あの思いのこもった声と、跡を継ぐものなき畑という取り合わせにジーンとしみ込むような寂しさを感じ、特選でいただいた。
〇もう耕運機の音も聞こえない、広々とした畑が放りっぱなしにされている景が見えてくる。
〇雉子のビリビリくるような声を吉野で聞いた。その声に対して跡を継ぐもののない、草が生えたような畑、実にうまくできている。何を鳴かすより雉子を鳴かせたことがいい。
〇これは「畑」でいいの?
〇具体的な景が見えてくるからこれでいい。「家」じゃだめ。「畑」だから、枝ではなく下で鳴いているのがわかる。
芽起こしの雨に音なし流人墓 水香
〇静かな雨は春雨なのでしょう。流人墓がいいかどうかはあるが、静かな景で悲しみもある。
〇「芽起こしの雨」でやわらかい、静かな春の雨という感じが伝わり、そこに流人墓がひっそりと。取り合わせがいい。
〇席題の「流」での作だと思うが、それにしては上手(笑)。人も訪れないような静かな墓、そこに芽起こしのさらっと降る雨が呼応している。
〇今は訪れる人もいない、幾星霜をそこにあった流人墓にも春はくる。芽起こしの雨に音がないのはわかるが、あえて「雨に音なし」といったことで、静かに流人墓を濡らす周りの景や空気感まで見えてくる。無縁墓ではダメで、流人墓だと佐渡辺りを思い出す。
作者/「流」という字に感謝(笑)。
仏唇の動く気配や梅開く 裕子
〇仏様の唇だから動くことはないが、梅が開き、ようやく春になってきた、その時に少し唇が動いたように感じたという作者の気持ちがいい。
〇俳句は気配を詠むものだと聞いたことがあるので「気配」という言葉を入れてはいけないのか? と思うが、「気配」がこの句の命。仏唇の動く気配と、梅開くの取り合わせでいただいた。
〇仏唇という言い方が硬い。むしろ手が動いた方がいいのでは。
ものの芽の祈るかたちに膨らめり 一行
〇どんなに小さな芽でも、ものの芽は祈るかたちだと改めて感じた。
〇同じものの芽でも、枝でなく土から生える蕨やぜんまいの方だと思った。
〇祈るかたちという言葉はよくあり、類句がある。
虫出しの雷や錆びたる肥後守 ※ 水香
〇虫出しの雷だから啓蟄の頃の雷、それに対して錆びたる肥後守。取り合わせがおもしろい。
※肥後守…日本で戦前から使われている簡易折りたたみ式ナイフ
大杉のますらを立ちに冴返る 清江
〇ますらを立ちという言い方もいいし、冴え返るもぴたっと効いている。
〇お寺で見る大杉、あれをどう詠んだらいいかと思っていた。ますらを立ちに、まいったなぁという感じ(笑)。
百すぢの垂水や芽吹く柞山 水香
〇至る所から垂水が枝や葉を伝わって落ちてくる。それはどこからかというと、芽吹きの始まった落葉樹の林、柞山からなんだよ、という句。切れもテーマもよく、もう一つ別の句ができそうなくらい素敵な言葉を並べて、春の山を表現している。
うららかや海へひろごる鳶の笛 清江
〇海へひろごる鳶の笛で、まさに春うららかな気分が出て、身体の中が開くような心地がする。これでもかっていうくらい気持ちのいい句。
咲き足りて落つるほかなき椿かな 一行
〇椿ではないものを想像したが、山茶花は散るだし、落ちるのは椿。咲いたら落ちるほかないという人生観のようなものもいい。
〇「落つるほかなき」がちょっと理屈っぽい。
〇でもこれを言わないと強調できない。
交絶えてよりの歳月梅ひらく まさる
〇この頃便りがなくなったな、と思いながら時が経ち、もう梅が開く時期になったのに…と心配している様子が伝わる。
煮返してひとりの膳や春の雪 清江
〇一人住まいだから食べきれない昨日のものが残っている。それを煮返してまた食べている、そこに春の雪。侘しさもあるが、こうやって生きていてよかったという感じもある。
〇「煮返して」に、丁寧な暮らしぶりが見える。まだ寒いがあたたかい気持ちになっているような、過不足のない生活が伝わる。
〇採ったけど、膳が気になった。「ひとりの夕餉」ではどうか。
萌え出づるものにやさしき春の土 恵一
〇この通りだが、あえて言っているところがこの句のよさ。いろんなものの芽が出てくるが、春の土が、育つまでは分け隔てなくちゃんと守っているよ、ということを素直に詠んでいる。
河曲り曲りて海へ菜の花忌 まさる
〇舟で山間を通り、曲がるごとに景色がかわる。次はどんな景色が見えるのだろうという期待感、そして最後に菜の花の黄色がぱっと飛び込んでくるという鮮やかな句。
重なりし絵馬に風鳴る余寒かな 清江
〇今、受験期でつるしきれないほど絵馬が重なっている。冴え返るより柔らかい感じが余寒。合格したのかな、という思いが余寒に出ている。
春風やこころ鬼にも佛にも 一行
〇「こころ鬼にも佛にも」は、詩になりにくい言葉。それなのに春風をもってきたことで、私にはよくわかる句になった。春の風は春風、東風、涅槃西風、貝寄風、春一番、風光る、春嵐というように様々ある。他の季節を考えた場合、そういう変化のすごくある両面を併せ持った風はない、春だけ。鬼にも佛にもなれる人間の心。それを括るには括り切れないが、春風と言われれば、うーんと納得。こういう使い方もあるんだなと、詩の言葉にならないものを詩にして見せられた感じ。
膝折りし鹿のめつむる涅槃寺 まさる
〇暖かさを堪能しながら膝を折って寝る鹿。その姿が仏様の亡くなったことを、一緒になって祈っているように見えたということ。俳諧味もある。
分かちあふ光の欠片犬ふぐり 水香
〇小さな犬ふぐりは、光に群れて咲く。それを光の欠片を分かち合っていると捉えている。何を言っているわけではないが、分かちあふという言葉によって、陽だまりに寄り添って生活している犬ふぐりが浮かんでくる。
曲乗りの山高帽子風光る 水香
〇きゅっとしまったような明るい日差しの中で見る、曲乗りの山高帽子。山高帽子に焦点を当てて、そこに風光る。「乗」の席題としては意外性があり、景が見え、空気感もわかる。
みほとけやのりしろの無き二月果つ 裕子
〇二月は短いが、冬から春へ変わる季節。作者は明るい気持ちになり、仏が表れたように感じたのかな。みほとけという付けようのないものをもってきたところに、おもしろみを感じた。
大正の古色も乗せて雛の段 和子
〇雛の段が、古色蒼然たる様々なものを想像させる。
観音の寝姿の山笑ひをり 和子
〇観音の寝姿の山というだけでなんとなくうれしい。その山がいよいよ春を迎えたという、あたたかさを感じる。
〇寝姿山は伊豆下田や広島の宮島など全国に結構ある。
春は曙ひそひそと衣の音 影法師
〇「春は曙」で枕草子を想起させる。当時の十二単の女人たちがひそひそと言葉を交わしているようでもあり、曙だから男女の睦言ようでもある。そして最後は「衣の音」なんとも雅やかでムードのある句。
〇春は曙が光る句。解釈としては2つ。殿方が「そっと抜けていこうかいな」と、曙の中をお帰りになる。もう一つは家人はまだ寝ているが、私は春の曙の句を作りたいので、起こさないように静かに着替えて出かけますという健康的な句(笑)。衣の音がよかった。
待つに慣れ女老いけり山笑ふ 美子
〇この方も長い間待つ暮らしをされてきた。「そういうものなんだな」という諦観の気持ちで、山笑う山を見ている女の姿が見えてくる。
〇今の女は絶対に待たないよ(笑)。女を女とすれば、昔の女性になる。
即吟でご覧のとおりの素晴らしい句を作られることにまずは驚嘆。講評からも、各人の頭と心のなかには、どれだけの知識と経験と言葉と感性があるのだろうと、お一人おひとりをしみじみと眺めてしまう。90歳というお歳ながら、お洒落で、誰よりも大きくよく通る声で名乗りを上げ「毎日が本当に楽しいの!」と、瑞々しい句を作られる清江さん。そんな清江さんを中心に、俳句と人生の練達に出会える桜田句会です。(木戸敦子)