富士短歌会 主宰 川﨑 勝信 様(山梨県・富士吉田市)

 
富士短歌会
主宰 川﨑 勝信 様(山梨県・富士吉田市)
 
前日の雪模様から一変、快晴の4月21日(日)、富士急ハイランドリゾートホテルにおいて行われた、富士短歌会による渡邊美枝子歌集『春は歩まむ』を語る会、及び研修会にお邪魔しました。
 

▲入口に掲載されたお祝いの手紙や寄せ書き

 
 
喜寿の記念にと、当社でお手伝いをした歌集『春は歩まむ』の作者、渡邊美枝子さまは素敵な着物姿でご登場。「気軽にご参加いただきたかった」という趣旨で、出版記念会ではなく、このような形式に。主宰が「どんどん上手になっていく」と舌を巻くほど、会員の手による設営・運営は、温かななかにもしっかりと手はずが整えられていて驚く。金屏風を前に会員の石尾曠師朗さま、清水英雄さま、そして僭越ながら不肖木戸も祝辞を述べさせていただき、会員が一人ずつお祝いの言葉と『春は歩まむ』から自選した歌の感想を述べていく。
60歳の時に心臓にペースメーカーを埋め込んだ一級障害者とは思えない、芯のある明るさとたくましさで皆さんに親しまれる美枝子さまは憧れの存在。ご本人は「平凡な主婦が平凡な日常を詠った歌集」と謙遜されるが、随所に夫、子ども、七人の孫たちへの細やかなまなざしが感じられ、命の営みを丁寧に詠っている。
 
 歌集『春は歩まむ』より
 
「幸せは疲れるなあ」幼子と海を上がりて夫の七十路
初売りに買ひたる夫の登山靴春は歩まむ花咲く信濃
「母さんは幸せさうか」問ひしとふ向き合ふときは素つ気なき子の
痛みより離れたる身の手術台にうつらうつらと聴ける「イマジン」
雉啼く朝の目覚め吾にあれ器機埋むる胸指にまさぐる
古里の風は涼しや娘と孫の同じ形の万歳に寝る
 
▲『歌集 春は歩まむ』表紙の桜の絵はお孫さん渡邊陽那乃さん(小5)の手による

 
▲お礼の言葉を述べる渡邊美枝子さま

 
昼食をはさんで、午後からは研修会。提出した歌を、あらかじめ決められた担当者が批評し、その後、川﨑主宰の講評へと続く。
 
▲お祝い膳 3時にはコーヒーとケーキも!

 
川﨑…批評は与えられた歌がどんな心で詠まれているかを、まず把握して披瀝してほしい。その上で、表現的な内容の吟味に入る。作品は自分の手を離れたら、たとえ意図と違って受け取られようと仕方がない。極力、作者の言葉を尊重するが、私のアドバイスが絶対ではない。作者は自分の作品に責任を持つことが大切。
と33首の一つ一つを時間をかけて丹念にみていく。
 
春めく日死刑執行四名の「なまへ」よどまずラジオが伝ふ
温かくなった日に、死刑執行された人の名前をアナウンサーがすらすらと伝えたという、日常のひとこまを詠んでいる。穏やかな日に重い出来事というギャップ。なまへに「 」をつけたのはなぜ?
川﨑…「よどまず」が鍵。死刑執行などと聞くと心が不安になるが、ためらうことなく伝えるアナウンサーに、作者は違和感を感じている。名前は人間が親から与えられた自分だけのもの。「名前とは何ぞや?」 と、名前にもっと重い意味を持たせたくて「 」をつけたのだと思う。特別なことは言っていないが、いろんなことを想像させてくれる歌。社会詠もこう詠みたい。ラジオは映像が伴わない分、想像を広げられてまたいい。
 
▲市の文化功労者として表彰を受けている主宰の川﨑勝信さま

 
祖父の飼ひし綿羊毛を紡ぎ母の編みゐしセーターふはふは
今セーターを着ているのか、追憶の中の歌なのか、読み取れず困った歌。
川﨑…結句の「セーターふはふは」が現在で、あとは過去の回想だが長すぎる。飼ひし、紡ぎ、編みゐし、の動詞の何れかを省略しないと現在を描くスペースがなくなる。祖父の綿羊の毛に母編みしとすれば、動詞を省略できる。いつも言うが、初句と2句が導入で、3句以下で歌の中心を詠い、5句(結句)が一番大切でしっかりと自分の気持ちを伝えられる部分。
 
がらくたを積むごとく生き春の日を開きなほりて化粧などなす
解釈ができない気持ちがたくさんあるのだろうが、言葉通りにしかとれなかった。
川﨑…がらくたとは、値打ちのない雑多な品物のこと。「積む」は不要だし、「開きなほりて」は絶対とらないと。自分の気持ちを全部種明かししている。想像させることで歌が深くなる。化粧は「けはひ」と読ませた方が柔らかくていい。春の日に化粧をする女性の心が、様子を伝えることで生きてくる。
 
やはらかき日差し畑に満つ耕運機春初の音と土の香乗せて
待望の春、農作業の喜びを詠っている歌。五感がいくつも入っていていい。ただ、4句目と5句目で少しつかえたので、音調を整えられたらいいかと。
川﨑…おっしゃる通りで、五感で捉えて効果的。あとは調べを整えればいい。
やはき日の畑に初の音たつる耕運機は春の土の香を乗せ
やわらかく、ゆったりと、こういう歌を詠いたい。
 
▲隔月刊の「富士」第46号

 
末つ子の最後の弁当受験の日亡母の好みし苺を三つ
これが最後の弁当、という大切な日。自分の母親がしてくれたように、親の思いが受け継がれ、命が継承されていく。私もよくやるのが「の」の多用、これはいかがでしょうか。
川﨑…3句目の「受験の日」が説明的。「三つ」の数詞は不要。
受験する末子の弁当最後とぞ母の好みし苺も入れぬ
とすれば「の」が2つとれる。
 
寄り添ひて眠るが見ゆる山鳩のいちゐの枝に雪降る日暮
冬は動物も人間も、寄り添って生きる大切な季節。そこへ雪が降っている。
川﨑…いい歌。「眠るが見ゆる」は山鳩ではなく、いちゐの枝にかけたい。「雪降る日暮」も説明的。「ゆふべ雪降る」とした方が、限りなく雪が降っているよ、という感じになる。
寄り添ひて山鳩眠るがに見ゆるいちゐの枝にゆふべ雪降る
説明的だと、意味は伝わるが、心が伝わらない。歌は意味を伝えるものではなく、その時の自分の情、心を伝えるもの。
 
子育ては成功したねと娘の真顔親を頼らず生きてゐるらし
母に対して娘が言った言葉。親を頼らずに一人前に生きているという、うれしい気持ちを詠んでいる。うらやましい。
川﨑…「親を」だとよそよそしい。「我ら」でいい。我らだと作者が入るが、親をというとやや作者から離れる。
*
川﨑…一昨年に亡くなった師匠の千代國一は、短歌は「単純で、さりげなく、具体的に描く」と言っている。いろんなものは入れず、一瞬の感動を詠う。経過や期間をいえば、散文にはかなわない。ただ、一瞬を切り取ると、歌へ散文に勝る想像力を与える。そして、うれしい、悲しいという気持ちは決して強調しない。ぐっと抑えることで、より相手に伝わる。
そのときのその人だけの感動を訴え、共感してほしいから詠んでいるわけで、理屈や説明、観念で作らないこと。ただ、具体的な表現を盛り込まない限り、読者の想像力を喚起し、心に訴えることはできない。そのためには、具体的に描くこと。
先ほどの歌にもあったが、五感プラスそれ以上にほしいのは第六感。一瞬のひらめき、心の目、心眼で物事をつかまえられると、もっといい歌になる。
いろいろと言ってきたが、「富士短歌会」の歌は草の根短歌だと思っている。名もない庶民だが、自分の言葉と個性で優しく素朴に表現し、一生懸命に詠う。そして「富士」の誌上にぽつぽつと発表を続けること。みんながいいものを持っている。自信を持って「あるがままを、ありのままに表現する」を合い言葉に頑張っていきましょう。
 

 

 
★午前10時から16時までのほぼ丸一日。一つひとつの歌を吟味し、短歌にどっぷりとつかる贅沢な時間。資料もしっかりと準備され、身一つ、ここにいただけで少し賢くなったような錯覚をするほどの充実した内容。熱心な指導者と呼応する会員のつくりあげる相乗効果で「富士」の如く高い頂をめざす。渡邊さまの「100歳までこの会に参加したい」とのお言葉。日々、富士を仰ぎ見ている皆さまなら、実現可能だと思えてくる。 (木戸敦子)