昨年7月、句集『蟻旅する』を発行した山岡蟻人様に
南房総の里山にあるご自宅でお話をお聞きしました(4/5)。
■ 自然豊かなところにお住まいですね
最初は千葉の高校で生物を教えていた。次第に環境教育にシフトし、中野区の中高一貫の学校に異動してからは、地元に教材を探して生徒と地層を見たり水質を調べたり、今でいえばブラタモリのようなことを授業に組み込んでいった。自分たちの住んでいる地域を調べ、どう住みやすい街にしていくのか、そういうことを子どもたちに課していると次第に自分の生き方も問われてくるんだよね。そこで、食物とエネルギーを最大限自分で創り出す生活をしようと、適した土地を探し、最終的には60歳でここに落ち着いた。
■ 俳句との出会いはその頃に?
退職する前、詩に凝っていた時期があり、田村隆一を真似て作ってみたが文学的センスがない。俺には無理だと思っていたとき、俳句を始めた友人に誘われた。ある程度力をつけるには結社に入った方がいいということで、著書を読んで気に入ったのが辻桃子。かなりまともなことを言っているし、あっけらかんとしていてフィーリングが合った。でも俳句は楽しいが好きではない(笑)。
■ 今回は第二句集ですね
第一句集の『蟻耕す』は農業の句が中心。熱帯林に関心があり、現役の頃から東南アジアや中南米に10回ほど通った。次第に海外の景も俳句に詠み始めたが、あちらは一日のうちに様々な季語がある。高い値段だったが、古本屋で虚子が提唱した熱帯季語が収録されている『新歳時記』(昭和16年)を入手し、今回のアマゾン行きを最後に句集に収録する熱帯林での吟詠を増やすつもりでいた。その時、ちょっと咳が出るので受診したら肺がんだった。それが3年前。負けないよう、3食作ってしっかり食べ、治療もいろいろやったが、今は使える抗がん剤がなくなり治療はしていない。今後は緩和ケアにと思っている。
■ ユニークな句集です
まず第一句集に掲載しなかった句をジャンル別、国内・国外別に分けた。国外は北極圏もあるがほとんどが熱帯。そこに雰囲気の合う写真を合わせ、世界を回り日本に戻ってくるという視点で構成した。最後の写真はブータンのマニダルという白い旗。ブータンではお墓を作る習慣はないから、亡くなった人の霊をなぐさめるため峠道に旗を立てる。「あの写真を見たら涙がぽろぽろ流れた」という感想を寄せてくれた人がいたが、それは意図したところ。先はないが、第3句集は俳画を入れようと思って。見開きの片方には俳画と1句、もう片方には3句入れ、全部墨1色で和紙に刷って、200部くらいを自分で和綴じ製本してね。
■ 俳句、好きなんじゃないですか(笑)?
とりあえず、明日は津田沼の句会に参加する。人がいると楽しいしね。たかが同じ県内の句会だけど、これ(酸素ボンベ)を引きずりながらで体力的なこともあるから1泊泊まりで。ここ2週間、味覚がおかしくなっているし食えるかどうかどうかわからないが、明日はトンカツ定食を食ってやろうかと思って(笑)。
■ すごいガッツですね
昔から出る釘は打たれるのに慣れている。違うことすればバッシングにあう。でも仕方ない、新しいものを創り出すのが好きなの。句集もそう、ありきたりはいや。俳句は、骨太で泥くさい一茶のような句を作りたい。農民であの勉強ぶり、絶対に負けないという気力、見習うべきだよ。人や動物、生き物に優しいしね。
句集『蟻旅する』より
培養土百袋積みて夏兆す
遠くよりどすんどすんと夕立くる
舟べりを掴み大河の昼寝かな
★ご自宅にお邪魔したのはこの日が2度目。ぶっきらぼうだが、話せば饒舌で「最初『喜怒哀楽』の情報誌を見たとき、地方なのに女ばっかりでがんばってる変な会社だなーと思ってたんだよ」と。お天気もよく、外に行こうと仰ったが苦しくなり、玄関に並んで腰かけお話を聞いた。晴耕雨読、日々の料理や近況、遊びに来た教え子たちの様子をFacebookに発信し、土と自らを耕し続け、自身のめざす生き方を貫いた人生。昭和・平成、そして新しい時代令和元年になった5月1日に逝去された。「やせ蛙負けるな一茶これにあり」のごとく、負けん気魂で今生を生き切った今頃は「蟻旅する」の通り、世界を自由に旅していることだろう。(木戸敦子)