先日、山形県鶴岡市の「松ヶ岡開墾場」に行く機会があった。明治維新の変革期、戊辰戦争で敗れた旧庄内藩士たち約3,000 人が、賊軍の汚名を返上とばかりに「刀を鍬に」替えて開墾。広大な桑畑を拓き、国内最大の蚕室群を建設し、新たな産業を興した地だ。
世界遺産になった富岡製糸工場はもうやっていないが、鶴岡市は養蚕から絹製品まで、全ての工程を地域の中で一貫して行える国内唯一の産地だなんて、全く知らなかった。
それもちょうど6⽉と9⽉には養蚕棚で蚕の展⽰飼育の様子が見られるとあっては、見ないわけにはいかない。小学校のときクラスで蚕を飼っており、グラウンドの桑の葉を採りに行っていたことを思い出した。
蚕が桑の葉を食べて成長すると、蚕簿(まぶし)という板紙や針金、わら等で作った箱状のものに移し替えられる。蚕は上に登る性質があるので、上階の部屋が埋まると、箱が回転して、上下逆転、上の階に空き室ができ、そこに入るという仕組みらしい。
蚕簿のなかで絹糸をはいて繭玉を作るので、この繭を煮て絹糸を取るのだが、なんと1個の繭から1200~1500mの糸が採れるのだとか。
とにかく、ぎゃっ、わっ、といろいろなことに驚いた。肌にもよく、火にも強い、日本の伝統産業の絹、見直したと同時に、また再訪したいと感じた。
ちなみに桑、蚕は春の季語、繭、蚕簿は夏の季語のようです。
きどあつこ