寺尾 亜真李 様(新潟県・新潟市)

 

 

▲俳号の亜真李はあまり=余生からつけたという

 

今年1月に『句集 雪の韻』を上梓した寺尾亜真李さんに、お話をお聞きしました(新型コロナウイルス感染拡大防止のため、原稿を頂戴しそれをまとめさせていただきました)。

 

Q 『句集 雪の韻』は第二句集ですね
第一句集『きちかう』を上木したのがちょうど十年前。
傘寿も過ぎ、一つの節目として第二句集を出版したいと思っていた。
そんなとき、ちょうど御社のこの「笑顔礼讃西東」のコーナーで「本づくりのススメ」を読み、その言葉に後押しされて決断した。
そこで師でもある「銀化」主宰中原道夫氏は「長編は書けなくても、俳句なら自分の一冊を易々と生むことが出来る。
句集は自身の決算書としての意味合いがあり有意義」と語っておられた。

 

Q 第一句集を踏まえ意識したことは?
第二句集なので、自選をすること、構成することを楽しみたいと思った。ただ思っていたのとは訳が違い、「易々と」はいかなかった(笑)。
中原主宰選と俳句大会入選を加えた千余句の中から二八一句に絞ったが、迷った句が少なからずあった。例えば

 

金魚玉ぬぐひておくりびとであり

 

の句は、平成二十一年の作。少し前まで金魚が入っていた金魚玉。それが曇っており、拭っていた時に出来た句。
ちょうど、アカデミー賞の映画「おくりびと」が話題になっていたという背景がある。

こんにちに通用するかな? と悩んだ末に、入れることに。
結果的に、この句は主宰の『雪の韻』十句選に入っており安堵した。
構成では、作句年に関わらず、春・夏・秋・冬・新年の五章とし、より一層自分を晒し、ものがたりになるように配列した。

 

Q 本を手にされた時は?
到着し、思わず抱きしめた。表紙カバーの青の色合いの変化、題字の真っ白ではない白、表紙シルク地の上品なピンク、背文字の銀色の箔押しが何とも素敵で、表紙カバーをつけて佳し、カバーを外し本棚に並べても背の銀の箔押し佳し、と満足であった。

「本」が好きで、日ごろ本屋にもよく行き、小説やエッセイなど一ヵ月に十五冊位は読む。だから、「本」には多少こだわりを持っているが、このたびの句集の紙の色、文字の配置など全体的に満足であった。

 

▲生まれたのが雪の降り続く朝だったことから『句集 雪の韻』に

 

Q 本を出してみての感想
今回句集を一冊上木することで、三度楽しんだ。一度目は、句選をする中でその句のできた当時の人生を再び味わった。
二度目は、初校・二校と完成度が上がって、当初漠然と抱いていたイメージが明確な形になっていく度に、ワクワクした。
これも御社の対応がスマートだったから。三度目は、読んでいただいた方から多彩な読みを賜り、俳縁をいただいた。

 

Q 少し句をご紹介ください

 春炬燵夫の遺せし未亡人

夫は、四十八歳になったばかりの働き盛りで病没し、息子二人と私が遺された。悲しみの歳月を経て、三十年以上経って出来た句。皆さんから「微塵の暗さも感じられない」との評をいただいた。

 

 黒板に白鳥の数チャイムなる

教員生活が長かった。退職後も俳句指導ボランティアとして地元の小・中・高の学校に関わったので、自然とその辺りを取材した句が出来る。

 

 ギプス巻く素足は淋しさうだから

子どもの頃から病弱だった。後年リウマチになり、今は病気とは仲良く付き合っている。俳句のおかげで自分を客観視することができ、マイナスの体験もプラスに変えてくれている。ありがたいことに、傘寿過ぎの今も元気にしている。

 

Q 今、夢中になっていることは?
花のある暮らしかな。「辛夷が咲いたから見に来ない?」とお誘いがあれば、友人の山小屋へいそいそと出掛ける。
また、わが家のちっぽけな庭を「ハッピーガーデン」と名付け、一年中何かしらの花があるように手入れしている。
今は紅梅が咲き、椿も蕾がふくらみ、庭の隅では水仙が咲き、雪割草が咲き出した。やがて一輪草も芽を出す。あれこれ眺めていれば余念がない。
鈴木真砂女に「今生のいまが倖せ衣被」という句があるが、そんな心境で日々を過ごしている。

 

 

  『句集 雪の韻』より

代掻きて平和な村をどろどろに

螢の夜はぐれてゐるのとも違ふ

馬耳もちて馬齢すこやか敬老日

炭をつぐそんな断り方もある

無音とは限りなく降る雪の音

 

 

★電話口でもお会いしても、いつ何時でも、しゃんとして快活かつ大きな声で「寺尾です」と仰る。ご主人を亡くされてからの月日と激務と病を想像すると、その芯の強さがうかがえる。傍らにあった俳句が、人生の杖としてどんなに励ましであり慰めであったか。一つひとつ自分で決めて、着実に遂行する。めげずに前へ前へ。亜真李とは、余生ではなく余り有る情熱のことと得心した。(木戸敦子)