歌集『ひなたぼつこ』をまとめようと思った経緯からお聞きします
11年前に60歳を機に定年退職の道を選択、闘病中の妻と2人で千葉県鋸山の南側の海辺の町に移住しました。
千葉は2人の故郷であり、私の高校が木更津であったこともあり、なじみのあるところでした。
妻は「できるだけ人には会いたくないよ」と言っていました。
子ども2人の内一人は会社員、一人は学生で下宿していましたので、わたしたちは2人の荷物をまとめレンタカーに載せて引っ越してきました。
そのころ横浜の病院では3種の抗がん剤治療が終わり、ほかの薬は残されていない旨告げられ、やむなく妻は横浜から都内の広尾の病院に行くことになりました。
私の運転で千葉から通院し点滴を下げて帰ってきました。
横浜の病院で最初に余命3か月と告げられた時は、何を言われているのかまったく理解できず頭の中は真っ白になりました。
便秘の治療を目的に近所のクリニックに行ったのが最初で、そこで病院を紹介され転院しました。
抗がん剤の副作用には本当に苦しめられました。
家じゅうに残される髪の毛をできる限り見せないように毎日掃除機をかけ、排水溝を掃除しました。
移住してから3年後に待ち続けた次男の卒業と就職を見届け、千葉の自宅で息を引き取りました。
最後まであきらめずよく頑張ってくれました。
さて男一人残され、恐ろしいほどの孤独にさいなまれました。
とくに葬儀が終わり、子供たちが戻り、最後まで付き合ってくれたもとの会社の友達が3日目に戻った時は、家のなかにじっとして座っていられませんでした。
ひとりで過ごす夜の静けさはとりわけ耐え難いものがありました。
引き出しを開ければそこに昨日の妻が居ました。
厨に、たんすに、裁縫箱に。
そのぬくもりが鎮まるまでに3年の月日がかかりました。
残されしものの元気が供養だとわれを救いし言葉をおくる
この歌のように、私が元気でいることが何よりの供養と知人に教えられ、それにすがって頑張れたと思っています。
よく後を追う高齢者の話を聞きますが、本当によくわかります。
まだ60歳前半でしたから、兄弟姉妹、またたくさんの友達の励ましに支えられ何とかやってこられました。
では奥様が亡くなられてから短歌を?
通勤に小高賢編『近代短歌の鑑賞』『現代短歌の鑑賞』を読んでいましたので、有り余る時間を短歌に没頭しました。
歌集は3千円もしてなかなか購入できず。また書店には、俵万智以外の歌集はなくいろいろ探しました。
神保町の古書店を探しましたが、そこにあったのは古本ではなく高価な古書でした。
そこで見つけた斎藤史の『ひたくれなゐ』、これが初めて求めた歌集でした。
今でも大切にしています。
その最後のページに
死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも
がありました。
短歌を始める人の一番のネックはたぶんこの歌集の価格と書店に販売していないことでしょう。
そこでたどり着いたのはブックオフでした。
半額以下でいろいろな歌集を見つけることができ、200円からありました。
最近は値上がり気味です。
住んでいた横浜に戻るたび横浜、川崎、東京周辺のブックオフをあたりました。
毎週読売新聞、読売歌壇、同千葉版、よみうり文芸に投稿、短歌研究に毎月5首の投稿を始めました。
最初の3年はまったくかすりもしません。
短歌研究は投稿すれば少なくとも一首を掲載してくれます。
新聞投稿は6か月まったく採用されずギブアップ。
数か月おいて再開しまたギブアップ。
ほかにすることもありませんし、悔しいのでまた投稿を始めました。
3年経った平成27年3月、初めてよみうり文芸に採っていただき、10月に読売歌壇一席に入り、それからは70歳に手の届く男が夢中で投稿の楽しさにはまりました。
それから6年、昨年の暮れに毎月のようにゴルフを楽しんだ大事な友達が亡くなり、また身近な人が一人二人と旅立ちました。
古稀も迎えたことで息子たちへ何かお母さんの思い出を残しておきたい、また知人友人に亡くなった妻の思い出とともに、私が元気でやっていることを伝えたい、と歌集に纏めることにしました。
歌集への反響はいかがでしたか?
私の投稿の掲載を楽しみにしてくださった人達がいました。
掲載されると朝早く電話をくれる義理の姉、この海辺の町のウォーキングで出会う工務店の奥さん、仲人をしてくれた大学の先輩と絵手紙で励ましてくれる奥さん、ラインでつながる会社の同期6人、そのほかの会社の同期と先輩諸氏。
立石にお嫁に行った姉、一時同じく短歌を詠んだ2番目の姉、そしてお隣の短歌の先輩。高校の友達とゴルフ仲間。
高校の同期から「柔道部の硬派が歌集を出した」と、言葉にならない電話ももらいました。
また同じ境遇の方たちとは一人残された生活の中で、わたしの詠った世界が共有できたことがとてもうれしく思いました。
一人残されても気持ちの持ちようで一緒にいられると、改めて感じてくれた方が多かったようです。
あまり深刻にならずに情事の歌を喜んでくれた方も複数いらっしゃいました。
同期会の歌で「独り身の媼ちゃん付で呼ばれてゐたり」と詠んだことは、本人でない同期の方にきつく叱られました。
歌を詠わない人にとって “独り身の媼” は決して楽しくは読めないと。
また、全く違う方からは「私のことみたい、おもわず笑っちゃいました。
姪たちにちゃん付けで呼ばれています」と明るく言っていただきました。
原稿をまとめる際に大変だったことはありますか?
新聞の投稿の歌が多く、テーマごとに纏めることに時間がかかりました。
5首の連作の歌をメインにテーマに合わせてあちこちより集めました。
会社生活とその後の10年間の忘備録のような歌集ですので、歌の数が多くなってしまいました。
この6年間を、やっとのことで乗り切れたと歌に感謝の気持ちです。
喜怒哀楽書房に原稿を送るまで自分なりに何度も見直しましたが、担当者の方に指摘されると冷や汗が噴出してきます。
同じ歌、同じような歌がたくさん出てきました。
仮名遣いの統一や音便、確認を重ねても気づかないものが、プロの目は一瞬にしてわかってしまうことに驚くばかりです。
こんな歌集を出していいものか本当に悩みましたが、折々に校正の中に担当者の方の励ましの言葉を見つけ、勇気付けられました。
ひとえに感謝の気持ちです。
近況
出版し友人知人に配り終えると安堵の気持ちで作歌の気持ちが薄らいできました。
そんななかで読んでくださった方の手紙に第二歌集への励ましが綴られてあるのを見ると、今少し頑張ってみるかと思えるようになりました。
コロナ禍にあって毎月の会社同期の横浜の飲み会がなくなりましたが、その分ゴルフが増えました。高校同期のゴルフ仲間にも恵まれ楽しくやっています。
庭に8畳ほどの菜園をつくり毎日楽しんでいます。
短歌に出会い、いろいろな自然、植物、鳥、色を知ることができました。
美しい大和言葉に出会うといつか使って詠えたらとうれしくなります。
好きな七首
山盛りの祭囃子が練り歩きト音記号の轍(わだち)残れり
正月の顔を撫づれば我がうちの頬骨硬しろくじふはちに
背を立ててゆるり横切る大道(おおみち)の尼に止まれり自動車のむれ
逝く前に下から俺を抱きしめて「ありがとう」つて俺生きてゆける
「海のもんと山のもん合わせりや旨いよ」と母のおせちに烏賊(いか)と里芋
其処にゐる気配たゆたふ冬の日にひなたぼつこの妻足伸ばす
わが胸の奥にかそけしアパートの外つけ階段娶(めと)りしころの
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