新堀 鉄朗 様 (東京都・北区)

無題
▲戦時中は「暗号電報室」配属 抜群の記憶力の新堀さんは現役の社労士

本年、一月『風塵~一句とその思い出~』を上梓された新堀鉄朗さんをご自宅にたずね、お話しをお聞きしました。
 
俳句歴は長いのですね
旧姓中学2年の頃、俳句にのめりこんでいた教師に、無理やり句会に誘われたことがきっかけ。以来、仕事で忙殺された10年程のブランクはあるものの、先日88歳を迎えたのでかれこれ70年超になろうか。大正末期に生まれ、戦時中は何ひとつ楽しみもなく、戦後は結核で長い闘病生活を余儀なくされた身にとって、いわゆる青春とは無縁で、それが拙い俳句につながったのであろう。
 
闘病生活ですか…
昭和25年5月31日、3日にわたり7回も喀血、そのショックからか父は脳出血で6月17日に他界。2ヶ月間絶対安静が続き、父の死を知らされたのも病状が落ち着いてから。こんな人間でも頼りにされていたのだと思うと今でも胸が痛むが、周りは毎日のように死者として担ぎ出される日常。とりあえず始めた「気胸療法」で喀血は止まったが、畳針のような太い針を麻酔もかけずに脇の下の肋骨に刺し、肋膜の間に空気を入れるという拷問のような治療で、そのブスッと刺す音がいまだに耳に残っている。奇跡的に命を取りとめたが5年間よく耐えたと思う。そんな絶望的な毎日の中で、俳句は私の信仰に近い存在であったかもしれない。
 
俳句にのめり込んだということ?
27年頃に職場復帰を果たし、東京国税局のあけび句会に参加。そこで唯一の師である前田鬼子と出会い、師の主宰する『俳句文学』に投稿するように。27~35年頃は真摯に俳句に打ち込み、仕事を終えてから編集を手伝い終電で帰ることも多かったが、一番楽しいひと時でもあった。当時の作品
花冷えの宙に玩具のねじを捲く S29
玩具のねじを捲く音が聞こえてきそうだと主宰に激賞され、自分でも気に入っている句。
黄落の犬人よりも淋しき貌 S30
勤めながら「気胸療法」を続けていた頃で、犬を通して健康に対する不安感が出ている。
主宰はよく「俺が死なないうちに句集を出せ」と言っていたが、それは叶わなかった。鬼子の好きであった「瑞々しき勾配野火の去りしあと」の句にちなんで、墓標のつもりで『句集 勾配』を出した。以来20年以上経つが、なかなか死なないもんだから、俳句とともに歩んできた生活を書き残しておきたいと、俳句とそれにまつわる思い出を記したのがこの『風塵』。よく「お前の俳句はわけがわからない」と言われたが、花より団子、花鳥風月より人間に興味がある。東京近郊の長男ところに行って鶯が鳴いていても、二、三日で帰りたくなっちゃう(笑)。
 
都会っ子なんですね
ここ滝野川の生家前(旧中山道沿い)は映画館で、日曜祭日もなく当時は毎日10時の開館のベルが30分も鳴り響いていた。大げさに言えば映画館のベルとともに育ってきたようなもの。だから映画や音楽が大好きで、300本以上あるDVDは私にとっては宝物。本は自転車で近くの本屋に行くこともあるが、なかなか遠出できなくなったので、見たい映画のDVDや本はインターネットで注文し、囲碁や将棋もパソコンで対戦している。夜12時前に寝ることはないですね(笑)。
 
俳句は今も?
昭和62年、鬼子主宰を亡くしたあと、しばらくおいて平成8年に旧同人を中心とした「奇数会」に参加し、平成23年の解散まで約15年間小使い役を勤めた。
花水木少年と雲併走す H13
珍しく正統派的な俳句ができた(笑)。
春夏秋冬いずれになるやわが忌日 H15
西行のように「願わくば」と贅沢なことは言えないが、どの季節に死ぬのだろうか一応気になる。
幸せなふりする妻の衣更え H17
すべて任せきりで、何もしてやったことがない。妻がどんな気持ちで過してきたのかを考えると不安だが、しょせん大正生まれの不器用な人間。
 
今後めざすことは?
輪ゴム長く引っ張って見る雪もよひ S29
こんなふうに、さりげない動作の中から詩を引っ張り出すのが、めざす句境。そして、母に対しては沢山の思い出があるが、その割に母の句をほとんど作っていない、というより作れない。死ぬまでに母に対する感謝の句が作れるかどうか。あとは呆け防止にと、右手一本でパソコンを雨だれ打ちしながら綴っている昔の思い出を一冊にまとめたい。今でも経済的に厳しいから、これ以上呆ける前に頑張るしかない。妻には白い眼で見られているが(笑)。
 
★医者に「用のないのは産婦人科だけですね」と言われるほど、多病息災の人生だったというが、話していると「ネアカ」で何でも見てやろう、やってやろうという強い好奇心を感じる。お母様との思い出、そして、言葉には出さずとも常に心配していた病み上がりの奥さまを大切に、これからも生涯を通じて一番好きな食べ物、より美味しい「とんかつ」を求め続けてくださいね。そして、ご本人が望む「平凡な幸せ」の中にあられますことを願って止みません。