齋藤 徳重 様(千葉県・印旛郡)

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▲「喧嘩はしたことがない。勝てば恨まれるし負ければ悔しい」と語る齋藤さん。

『回顧録』齋藤応仙さま (千葉県印旛郡)
 
米寿を迎えることを記念して、4月に『回顧録』として来し方をまとめた齋藤応仙さんに、お話しをおうかがいしました
 
■昔のことがありありとテンポよく描写されています
何歳の時、こういうことがあったと、ほとんど覚えている。『回顧録』では30、40代、60、70代のところが抜けているが、その部分を新たに書いたので、2冊目を年内に発行したいと思っている。
 
■よく次から次へと書けますね
以前は考えていなかったが、先が短いからね。これがいいと思ったらやるし、よくないと思ったらやらない。昔から霊的なものを感じたり見えたりと、少し変わっていた。今回も「本を出しませんか」という宣伝はたくさんきたが、お宅を最初に気に入ってお宅だけがいいと思った。損得ではなく、いいと思ったらいい。理由はない(笑)。ことほどさように、霊感がすべて私をいい方向に導き、多くの人との良き縁を得て、今こうやって元気に何不自由なく過ごしている。
 
■著書からも楽天的な印象を受けます
何もいやなこと、苦になることがないから、楽天的になるしかない。ストレス? どんなものなのだろうと思う。要するに悩まないし、苦にしない。「私の人生いつも青信号」で、ほんと不思議だがどこに行っても信号は必ず青。娘には「お父さん、休む暇ないね」と言われるが、休むのがもったいないし88年間これで生きてきた。何でも今が一番いいし、木戸さんとこうやって話して、今が本当に楽しい。きっとまたいいことがあるよ。
 
■そうであることを祈っております(笑)。霊的なものというと?
交通事故で親友を亡くし、以来一周忌までの毎日、夜中に目が覚め時計を見ると亡くなった3時43分を指している。必ずその時間。いやだから風呂敷をかけてみたが、同じように目が覚めるので起きて外して見るとやはりその時間。ぞーっとした。
 
■その時計、止まっているわけじゃないですよね?
ちがうちがう(笑)。それが一周忌の法事が終わるとピタッとなくなった。大分に住んでいた50代の頃には、焼けつくような喉の痛みで受診すると、大きな病院を紹介された。癌だと観念し、その足で大宰府天満宮へ行き2回目の柏手を打とうとしたその瞬間、ゾクッと寒気を感じ咳払いをすると、咽からピンポン玉大の赤黒い飴玉のようなものが飛び出した。同時に、ゴーッという音とともに喉の奥から冷たい風が吹き出し、それまでの喉の熱さも激痛も雲散霧消、まるで夢のようだった。ただ、その霊的なものの悪戯も、3年前の妻の交通事故以後は皆無となり、その事故が原因で10ヶ月後に妻を失った。
 
■それはショックでしたね
九州から何の縁もない千葉に引越して、親子4代で暮し、最初は知らない人ばかりだったが今は知った人ばかり(笑)。現在は、娘夫婦と3人の上げ膳据え膳の、まさに人の羨む老人生活。特に一人娘との晩酌は舌鼓を打ちながら、昔話や思い出話に花を咲かせ、いつ終わるとも知らない麗しい食卓。昨年の娘婿と孫が交代で運転して連れていってくれた、長崎や伊勢神宮を巡る一週間の家族旅行は、幸せの極みだった。
 
■本に関しては?
米寿を記念して、今までの思い出を俳句を交えて書いたが、みんなよく書けている、立派な本だとほめてくれる。先日は、孫に曾孫にと大勢集まって祝ってくれた。ワープロは得意中の得意だし、また書きたいと思っている。
 
■これからは
学校の先生の影響で、小3から始めた詩吟は生涯現役。この後、2時には師範に指導に行く。そんなときね、日ごろ母に見立てている近所の石材店の観音様の前を通るたび「おかあちゃん」と拝んでいるの。もう88歳になるのにね(笑)。これからは、詩吟と俳句を生きがいに、何ら悔ゆることなく天寿を全うしたい。
 
『回顧録』あとがき より
 老いは嬉しくもあり、悲しくもありの感一入のこの頃、余生あと幾何かは知らねども「花は紅く柳は緑麗しく、降り積もる雪にも耐えて色変えぬ、気高い松の如くありたい」と、今、私は思う。
 
「何をしている時が一番楽しい?」の質問に「全部楽しいからどれでもない」。「いやな人?私に関係した人で悪い人は一人もいない。あんたもそうだよ。みんないい人ばかり」と、ここまで言い切る齋藤に目が点になる。ウェイトレスの方にも「いやぁ今日の料理は特別においしいねぇ」と声をかけ、写真を撮る際にも様々にポーズをとってくださり、今がいかに楽しく最高の時になるかを何の計算もなくできる「生きることの達人」なのだ。お会いしてこんなに得した気分になる方も、そうはいない。(木戸敦子)